男谷精一郎、大石進と並び、
天保三剣士と称されている島田虎之助。
勝海舟の剣の師としても知られ、
下関にも縁のある人物です。
(記事はこちらとこちら)
中津藩士島田市郎右衛門の子として生まれ、
剣術師範堀一刀斎に外也一刀流を学び、
九州一円を武者修行して名声をあげます。
その後は江戸を目指して旅立ち、
諸国を巡って7年後に江戸に付いたとされ、
下関に滞在していたのもこの時期。
江戸では男谷道場の師範代を務め、
東北修行後に浅草新堀に道場を開きました。
「剣心一致」の言葉を残した事でも知られ、
其れ剣は心なり。
心正しからざれば剣また正しからず。
剣を学ばんとするものは 先ず心を学べ。
と、精神鍛練の重要性を説いています。
その虎之助が修行をしたのが天仲寺山で、
昼は道場に通い、
夜は山に籠って修行したとされます。
「天仲寺公園」。
現在公園として整備されていますが、
この小さな山には天仲寺古墳や、
中津藩小笠原家の墓所などもあります。
※中津藩小笠原家は府中小笠原氏ですが、
小倉藩小笠原家とは別流です。
・中津藩小笠原家→安志藩小笠原家
・小倉藩小笠原家→豊津藩小笠原家
「剣心一致」碑。
「武道は日本民族の精華にして
剣は武道の神髄なり。
故に剣士は古来、
神に祈り心を収めて技を磨く。
島田虎之助直親は、
實に剣士の典型にして・・・」
という碑文が刻まれて島田を称えています。
天仲寺山より山国川を越えて中津市へ。
JR中津駅前に虎之助誕生地の碑があります。
「剣豪島田虎之助誕生之地」。
南口のロータリーの芝生内に建っています。
ここに島田の生家がありました。
写真が逆光なのが残念。
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追剥退治に出かけた島田虎之助の話。
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