島田虎之助の追剥ぎ退治

北浦街道の小串-湯玉間に犬鳴岬と呼ばれる岬があります。
※よく犬鳴峠(いぬなきとうげ)と勘違いされるのですが、
 」の方は福岡の最怖心霊スポット
 「」の方は「いんなきはな(ばな)」と読みます。
 犬鳴峠は全国的にも超有名な心霊スポットなのですが、
 犬鳴岬の方は、下関でもそんなに知名度は高くない場所。

 「峠」には旧犬鳴トンネルがあり、魔界に通じているとか、
 記録を抹殺された法治の及ばない恐怖の集落があるとか、
 白い服を着た髪の長い女が、匍匐前進で追いかけてくるとか。
 実際に旧犬鳴トンネル内で、
焼殺事件が起こっており、
 恐ろしい場所に間違いはありません。

響灘を望むなんとものどかな場所で、
天気がよく波の穏やかな日は、
地中海を思わせる絶景が味わえます。

そのアクセントとなっているのが「廃墟」です。
「廃墟」と聞いていきなり怖い感じになりますが、
決してそうではありません。
エメラルドブルーの海と、青い空、黄土色の岩場に、
ぽつんと1軒だけ立つ「廃墟」。
その光景は宮崎アニメのワンシーンか、
フランス映画のような雰囲気なのです。

釣り客位しか訪れませんが、
知られざる名所といったところです。
この廃墟は誰かの別荘だったのでしょうが、
なんなのかはよくわかりません。

さて、前置きが長くなりましたが、
幕末(天保)の三剣士の一人島田虎之助が、
安岡に道場を開いていた事は、
前回お話致しました(記事はこちら)。

虎之助の剣の腕の評判は良く、
隣接する福江村沿革流棒術道場の福永某と、
互いの門弟がどちらが強いかと喧嘩になります。
門弟の争いはやがて収拾がつかなくなり、
しかたなく福永某は虎之助に挑むのですが、
全く歯が立たずに返り討ちにあってしまったとの事。
この虎之助に挑んだ福永某が、
沿革流棒術九世師福永正介(記事はこちら)なのか、
その先代がはたまた親族なのかはわかりません。
ただ沿革流棒術の師範代クラスが、
虎之助に挑んだことは間違いないようです。

まあそういう事で評判が高かった訳ですが、
その当時、犬鳴岬に追剥ぎが頻繁に出没していました。
夜、小串から湯玉に向かう通行人の前に現れて、
荷物はおろか身包みすべてを奪っていました。

困り果てた地元衆は、安岡の虎之助に追剥ぎ退治を依頼。
虎之助は名のある剣士なら願ってもない事だが、
たかが追剥ぎごときに易々と出て行けないと断りますが、
妙光寺の住職に「困ってる人の為」だと説得され、
追剥ぎ退治を引き受けることにしました。

一緒に行くと言って聞かない門弟4~5名と、小串に向かい、
小串の茶屋で門弟達を待たせて一人犬鳴岬へ。
岬に着くと案の定、三人の追剥ぎが虎之助の前後を塞ぎ、
有り金はもとより着ている衣類刀剣を投げ出せ
と威嚇してきます。
虎之助はその三人の追剥ぎをまたたくまに打ち据え、
丸裸にして街道沿いの松に縛り付けました。
そして矢立の筆で、
この者共この岬に巣喰う追剥ぎなり
 依って引捕え以後の見せしめとして
 寒ざらしにするものなり

 天保二年卯十二月十五日島田虎之助
と書いて小串に引き上げ、門弟と共に安岡へ帰りました。

翌日、縛り付けられた追剥ぎ達を見て、
地元衆は大変喜んだとの事。
追剥ぎ達は役人に捕えられ、
松小田の刑場(記事はこちら)で斬首となりました。

この話はきっちり記録に残っており、

年月日まではっきりとしています。
やはり剣豪ともなると、追剥ぎのような連中ならば、
三人まとめて打ち据えることも可能なんですね。

■関連記事■
福岡県築上郡 天仲寺公園(島田虎之助修練の地)
 島田虎之助の故郷。
下関市横野町 横野八幡宮と島田虎之助
 島田虎之助は下関で道場を開いています。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。