下関市福江に剣豪福永正介の墓があります。
墓石には、
「神陰流剣術十二世師
沿革流棒術九世師 福永正介墓」
と刻まれています(記事はこちら)。
「道端で草刈りをしていた女を斬ったが死なず、
家で水を汲むために屈んだら首が落ちた」。
そんなあり得ない逸話も残されています。
また、
「畳を小柄で跳ね飛ばした」
「攻撃を天井に飛び移って避けた」
「十数人を六尺棒一本で打ち据えた」など、
超人的な話もあります。
こういう話は大概が弟子達の言う話なので、
過大に盛られているのでしょうが、
剣術家にはそういう話がつきものです。
この福永正介が他と違うのは、
中山忠光の暗殺に関わっている事。
実行犯は長府藩衣類方の六名とされてますが、
別働で福永と泉十郎(野々村勘九郎)が、
参加したという説もあります。
泉は福永の介添え役として参加し、
しくじった場合に手を出す役であったと。
※泉も剣豪でした。
福永は泉の手を煩わす事無く、
棒で忠光の足を払って川に落とし、
衣類方が川に押さえ込んで窒息させたという。
※貴人は刀で殺してはいけないとされていた。
福永は維新後は福江で暮らしていましたが、
それほどの達人でありながら、
何かに怯えて暮らしたとされています。
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