報国隊は長府藩の諸藩のひとつで、
小倉戦争や戊辰戦争で活躍しました。
報国隊という名の隊は他藩にも多い為に、
一般的には長府報国隊、
又は長府藩報国隊と呼ばれます。
下関市は長府藩領だった場所が多いので、
長府以外にも隊士の墓が点在しています。
特に安岡地区から報国隊士が多く出ており、
隊士の墓をいくつか見つける事ができます。
安岡にある乗連寺の墓地に、
報国隊士の墓があります。
一人目は六番小隊半隊司令徳永権次郎。
慶応2年の小倉戦争大里村の戦いにおいて、
司令下村文次郎の指揮下で、
小倉藩二番手渋田見舎人隊を追撃中に戦死。
その際に隊長の下村も戦死しています。
「徳永権次郎藤原忠勝墓」。
乗連寺墓地の徳永家墓所にありますが、
囲いがされているので外より撮影。
手入れが行き届いたきれいな墓所です。
二人目は報国隊一番小隊阿川五郎。
慶応4年の北越戦争の赤田山の戦いで戦死。船岡山官軍墓地にも墓がありますが、
こちらは親族の建てた墓。
「報国隊一番小隊 阿川五郎藤原圀吉墓」。
長府藩を含めた長州諸隊の多くは、
戊辰戦争に出兵していますが、
北越戦争等で多くの戦死者を出しています。
彼らは官軍墓地に葬られてはいますが、
遺族らは遺髪や遺品などを引き取って、
地元に墓を建てています。
この二名は桜山招魂場にも祀られています。
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・下関市安岡 乗蓮寺/報国隊士の墓②
もう一人報国隊士の墓があります。
・下関市福江 長府報国隊士迫田為太郎の墓
報国隊の砲隊司令迫田為太郎の墓。
・下関市長府 功山寺/下村文次郎の墓所
報国隊六番小隊司令下村紋次郎の墓。