徳山藩は長州藩の支藩で、
現在の周南市徳山に藩庁を置いていました。
仕事関係のセミナーが周南市であったので、
藩庁跡に寄ってきました。
徳山藩は毛利輝元の次男毛利就隆が、
藩より3万石を分与されて立藩した支藩で、
はじめ下松(山口県下松市)に陣屋を置き、
その後に徳山に藩庁を移しています。
徳山陣屋は現在周南市文化会館となっています。
「周南市文化会館」。
徳山陣屋は「三大陣屋」に数えられていますが、
残念ながらその面影はほとんどありません。
文化会館正面の庭園は徳山陣屋当時のもの。
ほとんど唯一の遺構です。
「徳山藩館邸跡」の碑。
庭園内に建てられていますが、
場所が悪く誰も気が付かないであろう位置。
別に新しい説明板が設けられていました。
「大阪城築城残石」。
元和5年(1620)より始められた大坂城再建で、
徳山藩が用意した大津島の石材。
毛利家家紋を表す「一〇」が、
側面に刻まれています。
徳山陣屋は「三大陣屋」と呼ばれていたようで、
その規模は壮大であったという。
誰が決めた「三大」かよくわかりませんが、
残り2つは飯野陣屋と敦賀陣屋らしい。
どれも現存していないのでよくわかりませんが、
古図や書物から歴史学者が決めたのでしょう。
後の天保7年に徳山藩が城主格に昇進したため、
この徳山陣屋は徳山城、徳山御殿と呼ばれます。
もちろん構造は陣屋形式のままでしたが。
禁門の変の責で切腹した三家老の福原越後は、
徳山藩8代藩主毛利広鎮の六男。
館林藩秋元家初代藩主秋元志朝も広鎮の八男で、
長州藩最後の藩主毛利元徳も広鎮の十男でした。
藩士からは児玉源太郎などの人材も排出しています。
【徳山藩】
藩庁:徳山陣屋
藩主家:就隆流安芸毛利家
分類:3万石、外様大名(長州藩支藩)
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徳山藩主と館林藩主は実の兄弟でした。