長府藩の尊攘派の首領格といえば泉十郎。
長府藩士荻野十郎左衛門の次男として生まれ、
同藩士野々村合左衛門次晋の養子となります。
※野々村家は130石馬廻格。
家督相続後の文久3年には藩奉行職を務め、
青年藩士らを集めて精兵隊を組織。
※福原和勝や… 続きを読む
下関市長府 功山寺/泉十郎(野々村勘九郎)墓所
コメントを残す
長府藩の尊攘派の首領格といえば泉十郎。
長府藩士荻野十郎左衛門の次男として生まれ、
同藩士野々村合左衛門次晋の養子となります。
※野々村家は130石馬廻格。
家督相続後の文久3年には藩奉行職を務め、
青年藩士らを集めて精兵隊を組織。
※福原和勝や… 続きを読む
泉十郎(野々村勘九郎)。
長府藩士で長府報国隊の総督だった人物。
今回読んだのはその泉十郎の小説です。
「柿の実の落つ時」。
長府藩は長州藩の支藩として知られますが、
支藩は宗家が分家に所領を分与して、
幕府の許可を得て立藩させた藩の事。
それとは別に仙台藩伊達家と、… 続きを読む
長府侍町にある「旧野々村家表門」。
一見して普通の武家屋敷の門なのですが、
この手の門なら長府の至る所にあります。
わざわざ保存する価値があるのかというと、
実はその出所が重要。
この表門があった野々村家は、130石馬廻格。
幕末の当主は野々村勘九郎(泉十郎)です。
少々謎の多い人物ですが、
長府藩きっての剣豪とされ(流派不明)、
同志らと長府報国隊を設立し、
五卿の長府滞在時の接待も努めています。
残念な事に藩内政争に巻き込まれ、
自刃を遂げた悲劇の志士でした。
でもこの門は、その野々村邸の門だから、… 続きを読む