下関市福江 福永正介墓

中山忠光の暗殺犯に関しては諸説あります。
定説は長府名勝旧宅址記の記載により、
長府藩士内田与三郎佐野正右衛門
福山吉兵衛高田吉兵衛
近木伴右衛門三浦市太郎
そして忠光の警護の松村良太郎の7名。
※内田与三郎、近木伴右衛門については、
 抜けている文献あり。

この他に野々村勘九郎(泉十郎)が、
別働隊で襲撃したという説もあります。
その別働隊の中に神陰流剣術と、
沿革流棒術の達人福永正介がいたという。
彼は長府藩の剣術と棒術の師範で、
門人達の手で墓石が建てられています。
安岡地区の北側の福江という場所に、
その墓所はありました。

国道191号線から、
福江八幡宮方向へ入る道を進み、
福江八幡宮を通り越して、
北浦街道へ入ると堤が見えます。
そこを北側に100mほど行くと、
道沿いに小さな墓地が見えます。
福永正介墓」。
神陰流剣術12世及び、
沿革流棒術9世師範福永正介の墓。
彼は忠光を襲撃した際、
向脛を棒で打ち払い刈田に落としたという。
そこへ別の実行犯数名が飛びかかり、
忠光を抑え込んで絞殺します。
これはあくまで一つの説ですが・・。

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