功山寺境内の旧長門尊攘堂への石段脇に、
儒学者小田南陔らの墓があります。
「済川先生墓(右)」「南陔先生墓(右2)」、
「嶽陽先生墓(左2)」、
「嶺雲院清菴常涼居士(左)」。
小田亨叔(済川)の墓、小田南陔(圭)の墓、… 続きを読む
「功山寺」タグアーカイブ
下関市長府 功山寺/長府藩家老三吉家墓所
長府藩家老三吉家は主席家老細川家に次ぎ、
吉見や庭田など1500石を領していました。
※長府藩家老家は他に、三澤家、伊扶家、桂家、
毛利玄蕃家、田代家、西家。
三吉氏は元々備後の国人でしたが、
戦国時代には尼子家や大内家に従属しており、… 続きを読む
下関市長府 功山寺/泉十郎(野々村勘九郎)墓所
長府藩の尊攘派の首領格といえば泉十郎。
長府藩士荻野十郎左衛門の次男として生まれ、
同藩士野々村合左衛門次晋の養子となります。
※野々村家は130石馬廻格。
家督相続後の文久3年には藩奉行職を務め、
青年藩士らを集めて精兵隊を組織。
※福原和勝や… 続きを読む
下関市長府 秋の功山寺
功山寺は秋が一番良い。
紅葉がとても美しいから。
新しくなった下関市立歴史博物館で、
「龍馬がみた下関」という特別展が開催中。
1日限定で無料観覧されていたので、
久しぶりに長府へ行ってみました。
「… 続きを読む
桂弥一の墓はどこ??
功山寺の長門尊攘堂や万骨塔を建立して、
幕末志士達の顕彰事業を行った桂弥一。
特に万骨塔は全国から石を集めてきて、
一箇所に集めた壮大なものです。
「萬骨塔」。
長州系の志士だけではなく、
土佐、薩摩、水戸などの名も見られます。
そんな桂弥一ですが自身の墓所は?
色々と探してみましたが、
どこにあるのかわからない。
功山寺に葬られた… 続きを読む
下関市長府 功山寺/福田扇馬墓所
長府藩の藩校であった敬業館は、
15歳以上の藩士子弟しか学ぶ事は出来ず、
この状況に嘆いた福田扇馬は私塾を開設し、
身分年齢を問わず生徒を受け入れました。
この福田扇馬の墓が功山寺にあります。
「福田正則之墓」。
福田扇馬正則は藩医の子として生まれ、
幼少より才智に優れて敬業館に学びますが、
足の病で自力で起き上がれない体となり、
自宅に[桜柳亭]という私塾を開いて、
子弟の育英に勤めました。
福田は敬業館で学んでいる頃より、… 続きを読む
下関市長府 功山寺/有川恒槌墓所
精兵隊発起人のひとり有川恒槌の墓が、
長府の功山寺にあります。
「有川紀綱神霊塚」。
有川家墓所の隅の古い墓石と共に、
並べられていました。
有川恒槌は別名有川紀綱ともいい、
長府藩士有川乃右衛門の長男として生まれ、
一を聞けば二を知ると噂されており、
幼い頃より秀才として周囲に知られ、… 続きを読む