欧州と日本の定期航路

幕末期に多くの外国人が日本に来ていますが、
どうやって来たのかと疑問に思って調べたら、
普通に定期船が通っていました。
そりゃそうだ・・・。
いちいち軍艦で運んでられんわな。

日本への初の定期航路を開設したのは、
ペニンシュラー&オリエンタル汽船会社(英)」。
ロンドンから地中海を通りアレクサンドリア
そこからラクダ(後に鉄道)でスエズまで陸路、
別の船でアデンインドシンガポール
香港、そして上海
既に上海の定期航路が開設していました。

P&O社」。
P&O社は現在も存在する船舶会社です。
安政6年に横浜長崎箱館が開港されると、
早速上海~長崎間の航路を開設し、
文久3年頃には上海~長崎~横浜を、
月2回の定期便を設置しました。

フランス郵船会社(MI社)」も、
慶応元年に上海~横浜の定期航路を開設し、
月1回の定期船を出しています。

フランス郵船のポスター
MI社は後にMM社に社名変更。
第二次世界大戦後にCGT社と合併し、
CMA CGM社となっています。

いちはやく条約を締結した筈の米国は、
定期便設置が慶応3年とかなり遅れています。
これは南北戦争の影響でしょう。
パシフィック・メール社(PMSS社)」が、
サンフランシスコ~横浜~神戸~長崎~
上海~香港間を月1回往復しました。

岩倉使節団をサンフランシスコに運んだのは、
PMSS社の「アメリカ号」。

このように欧州と日本の間は、
頻繁に人、物、手紙が行き来しています。
ちなみに当時は横浜~上海間は約8日でした。
※PM社のスケジュール。
これらの航路は明治期も続けられましたが、
郵便汽船三菱会社が定期航路を開設すると、
運賃競争を繰り広げた挙句、
結局P&O社、PMSS社は撤退しています。
※MI社はそれ以前に撤退しています。

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