嘉永7年。
ペリー艦隊の2度目の来航の際、
幕府はペリーや艦隊水兵らに、
相撲を披露することになります。
力自慢の力士達30人が、
艦隊への進物米200俵を運び、
米俵を軽々と持ち上げる力士達に、
水兵らは唖然としたとか。
幕府が力士達を動員したのは、
ペリーへの牽制の意味もあったらしい。
土俵入りや稽古相撲も行ったようで、
迫力ある相撲のぶつかりに、
彼らは驚いた事でしょうが、
ペリーはあまり気に入らなかったようで、
「芝居がかっている」
「バカげている」と日記に記しています。
フランシス・L・ホークス編
『ペリー日本遠征記』の挿絵。
ペリーらに披露した稽古相撲の様子。
ひととおり終わったところで、
腕に自信のある水平が、
力士に挑戦を申し込みます。
受けて立つのは前頭筆頭白真弓肥太右エ門。
身長2m体重150kgの巨漢力士でした。
水兵と対峙すると激しい張り手で、
叩きのめします。
仲間の水兵が叩きのめされたのをみて、
他の3人の水兵が立ち上がります。
これを大関小柳常吉がいっぺんに相手にし、
一人を踏みつけ、ひとりを脇に抱え、
一人を片手で持ち上げたという。
(ホントか?)。
小柳常吉
小柳常吉の身長は170cmで、
体重は150kgだったという。
当時のアメリカ人の平均身長は、
170cm位らしいので、
同身長の人間3人を手玉に取るとは・・・。
しかも1人はボクサーで、
他の2人はレスラーだったらしい。
※だいぶ盛られた話だとは思います。
さてさてこの力士達のパフォーマンスは、
ペリーらへの牽制になったのでしょうか?
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