長崎県南松浦郡 柴田勝家公子孫の墓

本能寺の変後に羽柴秀吉と争い、
敗れて自害した柴田勝家
その四男(三男?)は出家して空性を名乗り、
平戸光明寺を開山していましたが、
勝家長男の子らは兄弟で空了を頼り、
柴田家滅亡後に平戸にやって来ました。
その兄は出家して了空を名乗り、
光明寺を再興しましたが、
弟の柴田勝厚は出家する事はなく、
漁師として身を立てる為、
従者8人と共に上五島に渡り、
北魚目立串に移住したという。


中通島北部へ向かう道で、
このような看板を発見。
急遽車を停めて参拝してみました。


柴田勝家公子孫の墓」。
笠塔婆型の墓碑が並ぶ墓所。
移住後も集落の名主となり、
従者の子孫と主従的な関係が、
江戸時代を通じて継続したようです。
現在も集落には柴田家の屋敷が建ち、
周辺で最も規模が大きいとのこと。

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