広島県広島市 海蔵寺/東城浅野家墓所

海蔵寺応永年間(1394-1427)に、
唐僧慈眼禅師力箭山(行者山)に創建。
永正元年(1504)に洞雲寺四世興雲宗繁が、
曹洞宗に改宗したとされます。


本堂」。
行者山より現在地に移転したのは、
元禄期以前とされており、
東城浅野家の菩提寺となって、
歴代当主墓所が建てられました。
第一次長州征伐では広島藩の仲介により、
長州藩と幕府がここで交渉。
維新後は草津小学校の前身として、
寺子屋立基館が設置されています。
本堂は天保11年(1840)の再建とのこと。


東城浅野家墓所」。
本堂左側にある東城浅野家の墓所。
非常に広い墓域に巨大な墓石が建ち並び、
並の大名家より立派です。
明智光秀に仕えていた堀田高勝は、
浅野長政の長男浅野幸長の守役として仕え、
後に浅野姓を下賜されました。
東城浅野家はこの高勝を祖とし、
東城1万石を与えられて、
家老家として江戸時代を通じて存続。
維新後は陪臣ながら1万石の知行と、
華族の体面を維持する財産を持っていた為、
明治政府より男爵を譲爵されています。

さて東城浅野家の墓所。
非常に立派で整備もされてはいますが、
案内板標柱は設置されておらず、
更に墓碑銘が風化で解読が難しい。
広島市に問い合わせても資料が無く、
被葬者の特定が出来ませんでした。


一番奥にある巨大な五輪塔
位置や大きさから考えるに初代高勝か、
2代浅野高英や3代浅野高次の墓か?
残念ながら特定には至りません。

特定出来たのは下記の2つだけ。
戒名が読み取れるものもありましたが、
それが誰なのかわかりませんでした。


浅野高平墳墓」。
11代当主浅野高平の墓。
唯一円墳型で建てられています。
生没年は不明ですが墓の形状から察するに、
隠居後に長生きしているのでしょう。


権少教正浅野道興之墓」。
13代当主浅野道興の墓。
11代高平の子として生まれますが、
家督は養子の浅野道博が相続しており、
道博の養嫡子となって家督を相続。
第一次長州征伐の際には仲裁に奔走し、
この海蔵寺で両者の談判が行われました。
維新後は旧家臣の救済や生活支援を行い、
明治17年に死去しています。

この海蔵寺にはこの他にも、
後北条家5代北条氏直の墓や、
山中鹿之助の後裔の墓もあるようです。

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