享保年間中頃まで長州藩主の参勤交代は、
萩往還より三田尻に陸路に至った後、
海路で大坂まで進んで淀川を遡り、
伏見から陸路で進んでいました。
その海路の途中にあるのが上関海峡で、
その両岸(上関/室津)には往来する船が集まり、
寄港地として大いに発展。
長州藩はここに上関御茶屋を設置し、
藩主の休憩や宿泊に利用しており、
諸大名や上使の本陣としても提供しています。
また朝鮮通信使の宿所にもなりました。
「上関御茶屋跡」。
旧熊毛南高等学校上関分校の敷地跡が、
上関御茶屋のあった場所。
その面積は三千坪にも及んでいました。
「上関御茶屋正門石垣」。
分校の跡地だけに遺構は少なく、
この正門石垣や井戸跡、長屋門石垣等が、
数少ない往時を偲ばせる遺構となっています。
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