宇都宮の大町通りから路地に入り、
おしどり塚公園へ。
公園内におしどり塚と、
児島強介の誕生地碑があります。
「おしどり塚」碑。
おしどり塚はオシドリの慰霊碑。
その昔、宇都宮にあさり沼という沼があり、
その沼からあさり川が流れ出していました。
ある日、猟師が山で獲物を求めますが、
1羽も獲れずに1日中歩いて、
偶然あさり沼にたどり着きます。
そこで2羽のオシドリを発見したので、
矢を放つと雄のオシドリに命中。
猟師はオシドリの首を切り落とし、
家に持ち帰って食べてしまいます。
翌日に猟師があさり沼にやって来ると、
昨日と同じ場所にオシドリがいたが、
逃げる様子がないので射止めると、
それは雌のオシドリでした。
彼女は猟師の切り落とした雄の首を、
大事そうに抱えていたようで、
これを見た猟師は心を痛めて出家。
僧となってオシドリの塚を建立し、
2羽の菩提を弔います。
後にその僧は日光の本宮寺に入山し、
立派な僧侶となっていますが、
一生をかけてオシドリ夫婦を弔ったという。
そのオシドリの塚は大町の民家裏にあり、
人々はその塚を[おしどり塚]と呼んだ。
但しこれはおしどり塚ではない模様。
「供養塔と鴛鴦塚之略記碑」。
宇都宮の文人戸田香園の撰文による碑。
香園は藩校修道館教授で藩の執政も務め、
晩年には二荒山神社の宮司にもなった人物。
供養塔はオシドリ夫婦のものでしょうが、
立派なので後に建てられたものでしょう。
「勤王志士贈従五位兒嶋強介誕生の地」碑。
尊皇志士児島強介の誕生地碑。
児島の生家があった場所のようで、
父は秤商を営んでいたとされます。
本姓は小島だったようですが、
南北朝時代の武将児島高徳に憧れて、
児島を称したとのこと。
その後に質屋を営む手塚家の養子となり、
江戸で儒者大橋訥庵に儒学を学び、
平田銕胤に国学を学びました。
訥庵の老中暗殺計画に賛同してこれを支援。
しかし暗殺計画は失敗してしまい、
強介の関与も発覚して捕縛されます。
病を得ていた強介は獄舎で体調を崩し、
収監4ヶ月後に獄死。
後に従五位を追贈されました。
碑の位置が微妙で強介の生家の裏手に、
おしどり塚があったのか?
それとも隣の家の裏手にあったのか?
よくわからないところですね。
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尊攘派の儒学者大橋訥庵の墓所。
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