相国寺にはかつて三層宝塔があったようで、
承応2年(1653)に後水尾上皇により再建。
更に明暦2年(1656)に落慶供養が行われ、
その上層に自らの髪と歯を納めました。
後の天明の大火で宝塔は消失しますが、
その跡地には歯髪塚が建立されています。
「後水尾天皇髪歯塚」。
歯も髪も消失していると考えられますが、
塔の残骸を埋めたものと思われます。
後水尾天皇は108代天皇で、
107代後陽成天皇の第三皇子。
後水尾天皇に譲位されて天皇となりますが、
その擁立には徳川家康が介入しています。
幕府は[公家衆法度]、[勅許紫衣法度]、
[禁中並公家諸法度]等を制定。
京都所司代を置いて朝廷を監視下に置き、
幕府の方針に忠実な運営を行う様、
その体制作りが行われた時期の天皇で、
2代将軍徳川家忠の娘和子が、
後水尾天皇の皇后となっています。
紫衣事件、金杯事件等で朝廷権威は失墜し、
これに耐えかねた後水尾天皇は、
興子内親王(明正天皇)に譲位。
以後は長期に渡り院政を行いました。
延宝8年(1680年)に85歳で崩御しており、
遺骸は泉涌寺境内の月輪陵に埋葬。
明確な記録が残る明治以前の天皇の中で、
最高齢の天皇とされています。
※昭和天皇は87歳、
上皇陛下は現在90歳。
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境内に月輪陵のある泉涌寺。
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95代花園天皇の御陵。
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39代弘文天皇の御陵。
京都府京都市 相国寺/後水尾天皇髪歯塚
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