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念願であった京都御所に行きました。
京都には何度も足を運んでいますが、
コロナ、オーバーツーリズム等の影響で、
出来るだけ人のいない場所から訪問し、
今日まで行けずじまいでしたが、
遂に訪問する事が出来た次第です。
京都御所は建武4年(1337)から、
明治維新後の明治2年までの間、
天皇が祭祀や公務を行った場所であり、
居住する場所でもありました。
「清所門」。
京都御所への参観入口となっている清所門。
御台所門とも呼ばれていたようで、
宮中に御用品の搬入に使用された他、
京都所司代や警護にあたる武士らも、
この門を使用したとのことです。
「御車寄」。
御所の玄関にあたる御車寄。
上皇や親王、摂関家等が正式に参内する際、
宜秋門から入ってこの御車寄より参内します。
文字通り牛車がここまで来ていたのでしょう。
「諸大夫の間」。
参内者が待機した書院造の建物。
この建物には3つの部屋があり、
公卿達が詰めた[虎の間(公卿の間)]、
諸侯や高官が詰めた[鶴の間(殿上人の間)]、
諸大夫が詰めた[桜の間(諸大夫の間)]と、
それぞれ身分によって分けられていました。
「新御車寄」。
大正天皇即位礼の際に造られた新御車寄。
用途は御車寄と同様です。
「承明門」。
紫宸殿前庭を囲む回廊南正面の承明門。
儀式では公卿らの参入口となりました。
回廊には他に東面の日華門と、
西面の月華門があります。
「紫宸殿」。
内裏の正殿であった紫宸殿。
天皇の即位、元服、立太子、節会等、
朝廷の最重要儀式が執り行われました。
明治元年の[五箇条の御誓文]公布も、
この紫宸殿で行われています。
天皇の玉座[高御座]や皇后の[御帳台]も、
ここに置かれているとのこと。
「春興殿」。
大正天皇即位礼の際に造営された春興殿。
即位礼の際に神鏡(八咫鏡)を遷座し、
[賢所大前の儀]を執り行い、
即位を皇祖皇宗に親告した神殿です。
「清涼殿」。
天皇が政務や行事を執った清涼殿。
平安時代には天皇の住居でしたが、
室町後期より公務の場所となっています。
「小御所」。
将軍参内の際の控え場所として建立され、
江戸期は謁見等に使用された小御所。
慶応3年12月9日に[小御所会議]が行われ、
徳川慶喜の処遇が決定しています。
「御学問所」。
講書始等の行事が行われた建物で、
遊興や謁見にも使用されていました。
孝明天皇はここで将軍徳川家茂や、
徳川慶喜にも謁見しており、
[王政復古の大号令]もここで発せられました。
「蹴鞠の庭」。
小御所と御学問所の間の四角い庭。
蹴鞠が行われていた場所です。
「御池庭」。
小御所や御学問所の西側にある庭園。
流石に手入れが行き届いていて美しい。
御所には庭園はなかったようですが、
慶長期の造営時に小堀遠州が参画し、
庭園が造られるようになったとされます。
とはいえ現在の庭は延宝期の造営のもの。
つづく。
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