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つづき。
「御常御殿」。
清涼殿から豊臣秀吉による造営の際に、
天皇の住居を独立させた御常御殿。
明治2年に東京に住居を移した後も、
戦前まで京都滞在の際に使用されました。
塀の外からの撮影ですが、
塀の中は観光客が多かった事と、
狭くて全体撮影が出来なかったからです。
「御内庭」。
御常御殿西側にある御内庭。
こちらも美しい庭です。
「御常御殿南側」。
塀の内側から撮影。
御常御殿は107代後陽成天皇から、
122代明治天皇まで住居としており、
数人の稚児と老人以外は男子禁制で、
女官のみが天皇の世話を行ったという。
御常御殿から御台所跡の広い空間へ。
「御台所跡」。
文字通り食事を作っていた御台所の跡で、
それ故に井戸跡が点在していました。
これを抜ければ最初の清所門へ戻り参観終了。
非常に見応えがありました。
京都御所は筋塀という壁に囲まれてます。
この壁は5本筋の入った土塀で、
最も格式の高い家格に使用されました。
その塀には6ヶ所の門が設置されており、
参観入口の清所門もそのひとつ。
最後にこれらの門を紹介します。
清所門から南側へ。
「宜秋門」。
御所西側の正門にあたる宜秋門。
上皇や親王、摂関家等が正式に参内する際、
この宜秋門から参内したようです。
更に南に進み南側正面の建礼門へ。
「建礼門」。
建礼門は最も格式の高い門とされ、
天皇皇后両陛下及び外国元首級のみが、
この門を通ることのできるとのこと。
蟇股に黄初平と巨霊人が彫刻されています。
「建春門」。
東側の正門にあたる建春門。
どのように使用されたのかは不明。
グルっと回って北側正面。
「朔平門」。
北側の正門にあたる朔平門。
この門の近くで姉小路公知が暗殺されており、
事件は[朔平門外の変]と呼ばれています。
この事件は[猿ヶ辻の変]とも呼ばれますが、
それは当時の御所は長方形ではなく、
東北側を欠けさせていた為。
ちなみに現在の猿ヶ辻。
「猿ヶ辻」。
御所の鬼門にあたる場所で、
北東角を欠けさせて鬼門を避けています。
現在は朔平門とかなり離れており、
事件現場を勘違いしてしまう人は多い。
最後に北西側の皇后門へ。
「皇后門」。
皇后御常御殿の通用門。
非公開エリアにある皇后御常御殿は、
文字通り皇后の住居ですが、
そこで働く女官達が使用した門。
以上が皇居六門と呼ばれる御門です。
広い・・流石は御所ですが、
公開されてたのはその半分程度・・。
その外側の京都御苑は更に広大。
次の記事からは京都御苑を散策します。
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江戸期の天皇が葬られた真言宗寺院。
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