京都府京都市 京都御所②

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つづき。


御常御殿」。
清涼殿から豊臣秀吉による造営の際に、
天皇の住居を独立させた御常御殿
明治2年に東京に住居を移した後も、
戦前まで京都滞在の際に使用されました。
塀の外からの撮影ですが、
塀の中は観光客が多かった事と、
狭くて全体撮影が出来なかったからです。


御内庭」。
御常御殿西側にある御内庭
こちらも美しい庭です。


御常御殿南側」。
塀の内側から撮影。
御常御殿は107代後陽成天皇から、
122代明治天皇まで住居としており、
数人の稚児と老人以外は男子禁制で、
女官のみが天皇の世話を行ったという。

御常御殿から御台所跡の広い空間へ。

御台所跡」。
文字通り食事を作っていた御台所の跡で、
それ故に井戸跡が点在していました。
これを抜ければ最初の清所門へ戻り参観終了。
非常に見応えがありました。

京都御所は筋塀という壁に囲まれてます。
この壁は5本筋の入った土塀で、
最も格式の高い家格に使用されました。
その塀には6ヶ所の門が設置されており、
参観入口の清所門もそのひとつ。
最後にこれらの門を紹介します。

清所門から南側へ。

宜秋門」。
御所西側の正門にあたる宜秋門
上皇親王摂関家等が正式に参内する際、
この宜秋門から参内したようです。

更に南に進み南側正面の建礼門へ。

建礼門」。
建礼門は最も格式の高い門とされ、
天皇皇后両陛下及び外国元首級のみが、
この門を通ることのできるとのこと。
蟇股に黄初平と巨霊人が彫刻されています。


建春門」。
東側の正門にあたる建春門
どのように使用されたのかは不明。

グルっと回って北側正面。

朔平門」。
北側の正門にあたる朔平門
この門の近くで姉小路公知が暗殺されており、
事件は[朔平門外の変]と呼ばれています。
この事件は[猿ヶ辻の変]とも呼ばれますが、
それは当時の御所は長方形ではなく、
東北側を欠けさせていた為。

ちなみに現在の猿ヶ辻

猿ヶ辻」。
御所の鬼門にあたる場所で、
北東角を欠けさせて鬼門を避けています。
現在は朔平門とかなり離れており、
事件現場を勘違いしてしまう人は多い。

最後に北西側の皇后門へ。

皇后門」。
皇后御常御殿の通用門。
非公開エリアにある皇后御常御殿は、
文字通り皇后の住居ですが、
そこで働く女官達が使用した門。
以上が皇居六門と呼ばれる御門です。

広い・・流石は御所ですが、
公開されてたのはその半分程度・・。
その外側の京都御苑は更に広大。
次の記事からは京都御苑を散策します。

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