長州藩7代藩主毛利重就により、
宝暦年間(1751-1763)に撫育方が新設。
増益した資金を特別会計として蓄え、
いざという時の為の資金としました。
この資金を増やす為に長州藩は、
海上輸送の商品流通に係わるようになり、
室積、中関、伊崎等の商業港を整備。
会所を設置して商取引を行わせています。
これにより藩は新田開発、塩田開発、
港湾整備に盛んに投資出来るようになり、
柔軟な資産運用が行えるようになりました。
「撫育方室積会所跡(山大附属光小学校)」。
室積会所の設置は明和6年(1769)とされ、
安永2年(1773)よりこの地が役所となります。
藩内にあった各地の米蔵を移築して、
主に年貢米を集めて販売していた為、
[御蔵会所][お米売捌会所]とも呼ばれ、
多くの米蔵や銀子蔵が建ち並んでいました。
更に倉庫業や金融業も地元商人に行わせ、
港や町は多くの廻船や商人が出入りし、
人々が溢れて非常に賑わっていたようです。
「長州藩撫育方室積会所跡」。
正門横には跡碑がありますが、
前面に柵が設置されてしまっています。
明治入って会所が閉鎖された後は、
熊毛郡役所、山口県立工業学校、師範学校、
女子師範学校、山口大学教育学部と、
次々に学校が置かれ、現在に至っています。
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