文久3年に起こった下関戦争は、
世界的にもニュースになった事件で、
有名な前田砲台占領の写真やスケッチが、
欧米の新聞などに掲載されています。
占領の様子を写した写真家ベアトの写真は、
歴史教科書や幕末書籍に掲載されており、
砲撃戦が描かれた絵も多く残っていますが、
従軍画家のワーグマンが描いたのは、
前田砲台後方の角石陣屋での戦闘でした。
「The Illustrated London News」
1864/12/10の挿絵。
上陸した陸戦隊が角石陣屋を攻撃する様子。
陣屋手前は水田だった模様で、
ぬかるみに入る水兵なども描かれています。
下関市前田周辺(角石陣屋があった場所)
角石陣屋は後方拠点となった陣屋で、
茶臼山の裏手に建設されていました。
前田砲台を占領した連合艦隊は、
前田川を上って角石陣屋まで攻めています。
藩兵は応戦するも角石陣屋を自焼して撤退。
その様子を見て陸戦隊は引き上げました。
現在、角石陣屋のあった場所は、
下関協同生コン㈱の敷地となっています。
当時の面影は全くありませんね。
ではどの位置で描かれたものなのでしょう?
少し手前側のようなので、
前田砲台の方へ戻ってみます。
道がカーブしたあたり。
遠くの白い建物が下関協同生コン㈱の建物。
黄色いガードレール奥の田畑は、
当時から水田だったと思われます。
このあたりからの風景でしょう。
水田だったと思われる場所に入ってみる。
生コンの建物を角石陣屋だと仮定すると、
絵の風景に近いのではないでしょうか?
こんな辺鄙な内陸の場所にまで、
外国人が攻め入っていたのですね。
砲撃戦ばかり取り上げられていますので、
砲台を占領したのみと思われがちですが、
実は内陸部での戦闘がありました。
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