上善寺墓地にある鷲尾家の墓所。
鷲尾家は四條隆親の三男鷲尾隆良を祖とし、
羽林家として続いた家です。
「鷲尾家墓所」。
室町家の墓が多くある墓地南部にあります。
鷲尾家は室町時代に2度中絶しますが、
江戸時代初期の慶長6年(1601)に三度再興。
四辻公遠の長男四辻季満が勅勘を蒙い、
後に罷免されていますが、
既に四辻家は弟四辻季継が継いでいた為、
季満は10代鷲尾隆尚と改称し、
鷲尾家を再興する事となっています。
以後は11代隆量、12代隆尹、13代隆長、
14代隆煕、15代隆建、16代隆純、
17代隆敬、18代隆賢、19代隆聚と続き、
明治17年に伯爵家となっています。
上善寺墓地にあるのは15、16、19代当主。
「正二位前權大納言藤原朝臣隆建之墓」。
鷲尾家15代当主鷲尾隆建の墓。
「従一位前權大納言藤原朝臣隆純卿之墓」。
鷲尾家16代当主鷲尾隆純の墓。
「正二位勲二等伯爵鷲尾隆聚之墓」。
鷲尾家19代当主鷲尾隆聚の墓。
18代当主鷲尾隆賢の次男。
英国公使パークスの大坂-敦賀旅行に反対し、
容認派公家を辞任に追い込んだ為、
国事私議の罪で謹慎処分を受けますが、
岩倉具視の指示で陸援隊が脱出させ、
高野山で挙兵して紀州藩等周辺諸藩に対し、
新政府への恭順を促しています。
戊辰戦争では奥州追討総督となり、
各地を転戦して凱旋。
武を好み自邸に道場を開いており、
明治17年には山岡鉄舟と武術を振興する為、
剣槍柔術永続社を設立しました。
明治45年、死去。
【公家の墓所】
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