護國寺は将軍徳川綱吉の母桂昌院の発願で、
大聖護国寺の亮賢僧正を招き、
幕領高田薬園の地を与えて堂宇を建立。
天然琥珀如意輪観世音菩薩像を本尊とし、
寺領三百石を賜ったことに始まります。
以後も将軍家の祈願寺として栄えますが、
檀家… 続きを読む
東京都文京区 護國寺
コメントを残す
護國寺は将軍徳川綱吉の母桂昌院の発願で、
大聖護国寺の亮賢僧正を招き、
幕領高田薬園の地を与えて堂宇を建立。
天然琥珀如意輪観世音菩薩像を本尊とし、
寺領三百石を賜ったことに始まります。
以後も将軍家の祈願寺として栄えますが、
檀家… 続きを読む
伊藤博文は熊毛郡の百姓林十蔵の長男で、
出稼ぎで萩に住む父に呼ばれて萩に移住。
その父が中間水井武兵衛の養子となり、
武兵衛が足軽伊藤家の養子となった為、
十蔵、利助(博文の幼名)も足軽となります。
百姓として生まれ、父が中間に養子に入り、
養祖父が足軽に養子に入るという展開。
百姓から頂点へのサクセスストーリーは、
戦国時代の豊臣秀吉と同じですが、… 続きを読む
佐賀県出身の総理大臣は大隈重信のみです。
薩長土肥の一角を担った割には、
少々残念な気もしますが、
山口県の8人が非常に多いだけで、
鹿児島県は3人、高知県も2人と、
意外に薩土肥は少なかったりします。
そのことから田布施システムという妄想が、
未だにネット上に書かれているのでしょう。… 続きを読む
維新を生き抜いた志士達は政府に出仕し、
殆どが東京に在住していた為、
その墓所は東京という例が多い。
長州藩出身者は地元に墓が無い場合が多く、
木戸孝允、伊藤博文、山縣有朋、山田顕義、
野村靖、品川弥二郎、桂太郎、山尾庸三、… 続きを読む
山口市赤妻町の赤妻神社という謎の神社。
googleMAPにもカーナビにも記載が無く、
ネット上の記載住所の殆どが間違っており、
手掛かりは長州史系ブログの訪問記事のみ。
※2020/11/22時点でgoogleMAPの記載確認。
赤妻神社は錦小路神社とも呼ばれますが、
どっちが正式な名前なのかわかりません。
※錦小路神社が正式らしいのですが、
毛利家文庫では赤妻神社となっている。
安加都麻神社とも呼ばれるらしい。
錦小路頼徳と… 続きを読む