英彦山事件③

つづき。
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一方で連判状に署名しながらも、
小倉藩討伐隊の英彦山包囲の際には、
使者として長州に出向いていた為、
衆徒達7名が難を逃れました。
英彦山の凶報がもたらされると、
捕えられた同志の奪還を計画しますが、
なかなかその時期が得られず、
仕方なく三田尻の忠勇隊に入隊。
長州藩は京都の正確な情報が掴む為、
英彦山衆徒を座主の使者に仕立て上げ、
京都の動静を探らせようとします。
そこで白羽の矢が立ったのが、
教観坊成連厳瑤坊亮親の二人。
これに久坂玄瑞が下僕に扮装して同行し、
五卿の忘れ物(書類等)を取りに行く為、
三条家三条西家の家臣も一同行。
座主家使者御一行として上京しました。
この頃は座主まで幽囚されているとは、
知らされていなかったようです。

一行は首尾よく京都に到着して久坂と別れ、
動静を探って尊攘派公卿と連絡を取り、
五卿の忘れ物も整理して長持に収め、
英彦山座主御用物と標札を立てて、
伏見を抜け大阪に向かおうとします。
しかし伏見の渡船場警備は小倉藩兵で、
衆徒の上京を察知しており、
顔を見知った者を派遣していた為、
見破られて捕縛されてしまいました。
五卿の荷物は没収されて幕府に引き渡され、
捕縛された一行は伏見奉行所から、
京都東町奉行永井尚志に引き渡され、
尋問の後に六角獄に入れられました。
獄には平野國臣らもいたようです。
一行が獄舎に入れられてから九か月後、
京都で禁門の変が起こります。
戦闘によって京都は火の海となり、
六角獄舎まで火が迫りました。
西町奉行滝川具挙は幕府に仇なすと、
国事犯の即刻処刑を命じます。
生野の変天誅組の変の国事犯と共に、
衆徒の一行も呼ばれ処刑され、
未決囚含む33名の国事犯が殺されます。
しかし火は獄の手前で鎮火。
獄舎が焼かれることはありませんでした。

一行の捕縛と荷物没収を知った三条実美は、
小倉藩に荷物について厳重に抗議すると、
荷物は町奉行所にあるはずだから、
取り返して差し上げますと約束したという。

つづく。
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福岡県田川郡 英彦山神宮
 英彦山と殉難衆徒を招魂する招魂社。

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