つづき。
①/②
旧リンガー住宅のさらに南側へ進む。
「旧オルト住宅」。
英国商人ウィリアム・ジョン・オルトの旧宅。
オルトは安政年間に長崎に来日したとされ、
大浦慶と共に九州一円から茶葉を買い集め、
海岸沿いの製茶所で製茶して輸出しました。
オルトは明治3年に帰国しており、
この住宅は隣のフレデリック・リンガーが購入。
後に川南造船所が旧リンガー住宅と共に購入し、
後に長崎市に寄付されています。
さらに南へ。
「旧スチイル記念学校」。
スチイル記念学校は米国人牧師スチイル博士が、
早逝した息子の為に寄贈した資金により開校。
昭和7年まで校名を変えながら続き、
その後も各学校の校舎として使われた後、
昭和47年に海星学園より長崎市に寄贈され、
現在地に移築されたもの。
来た道を戻り旧リンガー住宅横の石段より上へ。
「旧ウォーカー住宅」。
ロバート・N・ウォーカーJrの旧邸。
明治中期に建てられた洋館で、
元々は大浦天主堂の傍に建てられていたという。
旧ウォーカー住宅の廊下を抜けて向こう側へ。
「旧長崎地方裁判所長官舎」。
原爆によって殆ど姿を消した明治期の官庁建築。
保存の為に昭和54年に移築されました。
坂を南に進み、祈りの泉を越えてさらに上へ。
「旧長崎高商表門衛所」。
長崎高等商業学校創立時の旧衛所。
外側は洋風ですが中は畳敷きになっており、
ガイドさんの詰所になっているようです。
スロープを登り、グラバー園の最長部へ。
「高島和砲」。
洋式砲術家高島秋帆の指導により、
鉄砲鍛冶野川清造が製造したとされる和大砲。
「旧三菱第2ドックハウス」。
長崎造船所第二ドックの傍らに建てられたもの。
昭和47年に三菱造船株式会社より、
長崎市に寄贈されて移築復元された建物。
。
「地番境と居留地境の石柱」。
外国人居留地の境を表す石柱。
グラバー園の開園と共に集められたもの。
旧グラバー住宅が保存修理工事だったのは残念。
実はグラバー園には以前にも来た事があります。
とはいえそれは小学校の修学旅行の時。
当時は興味もなくただ友達と騒いでいただけ。
それ以来の訪問となった訳ですが、
思ったより異国感あふれる素敵な場所でした。
子供たちはどこでも喜びますが、
たぶん嫁さんも連れてきても喜ぶでしょう。
工事の完了予定は2021年4月予定という。
大浦天主堂もコロナで閉館していたし、
また家族を連れて再訪しようと思います。
■関連記事■
・長崎県長崎市 大浦天主堂
グラバー園の隣に建つ国宝建築物。
・長崎県長崎市 グラバー家墓地
新坂本国際墓地にあるグラバー家の墓所。
・長崎県長崎市 出島跡
開国前のオランダ人居留地。