修学旅行でグラバー園に行ってはいますが、
当時はそれが何なのか関心も興味も無く、
花のある庭園を持つ洋館の印象のみで、
それが武器商人宅とは知りませんでした。
スコットランド人のトーマス・グラバーは、
シャーディン・マセソン商会の勤務を経て、
同社の代理店を設立します。
これが貿易会社グラバー商会で
生糸や茶の輸出を取り扱っていましたが、
幕末の政治的混乱に乗じ武器の販売を開始。
幕府や諸藩に武器弾薬や蒸気船等を販売し、
薩摩藩士や長州藩士の密航の手引きも行い、
坂本龍馬の亀山社中とも取引を行いました。
グラバー商会は維新後には倒産しますが、
そのままグラバーは日本に留まり、
三菱財閥の相談役となっています。
「新坂本国際墓地」。
グラバーは明治44年に死去し、
長崎の新坂本国際墓地に葬られました。
坂本国際墓地が手狭になったことにより、
向かい側に増設された外国人墓地です。
墓地内。
横浜や神戸にも外国人墓地はありますが、
やはり独特な雰囲気がありますね。
カタカナで外国人の名前が刻まれた墓など、
失礼ながら可笑しいなと思ってしまいます。
「IN MEMORY OF
THOMAS BLAKE GLOVER.(右)」、
「倉場家之墓(左)」。
墓地の奥にあるグラバー夫妻と、
グラバーの息子夫婦の墓。
グラバーは芸者ツルと結婚していますが、
ツルは先に死去して太平寺に葬られており、
後に分骨がグラバーと共に葬られました。
ツルは揚羽蝶の女紋を用いていた事から、
オペラ蝶々婦人のモデルとされますが、
蝶々さんとは対照的な人生であり、
現在ではその説は否定されています。
グラバーの長男倉場富三郎の母は、
ツルとも前妻加賀マキともされますが、
本人は実母はマキと言っていたという。
彼は長崎で漁業に携わっていましたが、
大東亜戦争中にスパイ疑惑を掛けられ、
疑いを晴らす為に積極的に軍に協力。
終戦後に自殺しています。
グラバーとツルの間には、
ハナという娘が生まれており、
英国人ウォルター・J・ベネットと結婚。
4人の子をもうけたようで、
グラバーの血は現在も続いているとのこと。
■関連記事■
・長崎県長崎市 グラバー園①
かつてのクラバーの邸宅。
・長崎県長崎市 出島跡
鎖国日本の外国への門戸。
・長崎県長崎市 大浦天主堂
元治2年建立の日本最古の教会。