長崎県長崎市 大浦天主堂

大浦天主堂は元治2年建立の日本最古の教会。
正式名は日本二十六聖殉教者天主堂

文久2年。
横浜滞在の仏人司祭フューレが長崎に赴任し、
司祭館と外国人用の教会堂の建築を準備。
この年は慶長元年に殉教した日本二十六聖人が、
ローマ教皇ピオ9世により列聖されており、
文久3年にはプティジャン神父も着任し、
元治2年1月に天主堂が完成しました。


大浦天主堂」。
訪問時はコロナウイルスの影響で閉館中・・・。
なんとも残念です。

完成した天主堂は庶民からフランス寺と呼ばれ、
付近から多くの見物人に訪れています。
元治2年2月12日。
十数名の浦上の民がやってきて、
そのうちの一人で40~50歳代の女性が、
プティジャン神父に近づいて、
ワレラノムネ、アナタノムネトオナジ
と囁いて聖母像がどこにあるか尋ねました。
※この女性はイザベリナ杉本百合とされる。
彼らは聖母像に祈りを捧げ、
神父は彼らが四旬節を守っていることを聞き、
3百年近く信仰を守っていたと知ります。

その後も外海五島天草今村等、
各地の代表者が訪問して来た為、
神父はひそかに彼らを指導し、
彼らは村に帰って神父の教えを広めました。
この「信徒発見」のニュースは、
やがて教皇ピオ9世のもとにもたらされ、
感激した教皇は「東洋の奇蹟」と呼んだという。

しかしその後の慶応3年。
浦上村の信徒が仏式葬儀を拒否したことで、
幕府に信徒達の存在が明らかになり、
浦上四番崩れの悲劇が始まる訳です。

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