高田藩榊原家は領地15万石のうち、
高田の石高は約6万石だったようで、
残りの9万石は飛地の奥州浅川領でした。
この為に藩財政は困窮していましたが、
名君とされる3代藩主榊原政令の時代に、
飛地5万余石の領地替えが行われて、
本領隣接地に移されています。
そうした事から浅川にあった飛地陣屋が、
釜子に移されて釜子陣屋が建てられ、
残った飛地領の支配が為されました。
白河市東釜子周辺(釜子陣屋跡の場所)。
県道44号線より路地を入りますが、
結構狭い道で車を停める場所も無い。
車で訪問する際には注意が必要です。
「釜子陣屋跡」。
民家の敷地内に説明板が設置されています。
釜子陣屋は文化6年から約60年間続き、
戊辰戦争で新政府軍の攻撃を受けて焼失。
その為に資料は殆ど無いようです。
慶応4年6月25日。
新政府軍200余名は棚倉城を出発。
釜子に入ると銃撃を加えますが、
奉行吉田茂右衛門は陣屋に火を放ち退却。
新政府軍は棚倉へ引き上げました。
陣屋の藩兵八木傳五郎ら31名は、
奥羽越列藩同盟軍として出陣しており、
殆ど兵力は無かったと思われます。
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高田藩榊原家の居城跡。