会津街道と奥州街道の分岐点の女石に、
仙台藩戦死者の慰霊碑が建てられています。
仙台藩は白河戦争(白河口の戦い)で、
参謀坂本大炊以下150余の戦死者を出し、
各地でその屍が集められてこの場所に埋葬。
地元有志によって供養塔が建立され、
後に慰霊碑が建てられました。
「仙臺藩士戊辰戦沒之碑」。
明治23年に元藩主伊達宗基が建立。
宗基は先代藩主伊達慶邦が謹慎処分となり、
養嫡子伊達宗敦も廃嫡となった為に、
伊達宗家の家督を継ぎ、
最後の仙台藩主となっていますが、
幼少の為に政務を執る事が出来なかった為、
明治3年に謹慎を解かれた宗敦に、
藩知事の座を譲りました。
しかし伊達宗家当主は宗基のままで、
元藩主家を代表して慰霊碑を建てています。
「戦士供養塔」。
明治2年に建立した合葬墓で、
戦死者を埋葬した際に、
地元の有志によって建立されたもの。
仙台藩は各地に多数の藩兵を送っており、
戊辰戦争全体で1207名が戦死。
これは会津藩の2973名に次ぎ、
2番目戦死者数が多い。
仙台藩は白河、磐城方面に4400名、
秋田に3000名を援兵し、
自領には3800名しか残っておらず、
本気で戊辰戦争を戦ったといえるでしょう。
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決死の渡河を敢行した参謀坂本大炊の墓。
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戦局を左右した白河戦争の舞台。
・宮城県栗原市 瑞満寺/姉歯武之進墓所
姉歯も白河の戦闘で戦死しています。