京都府京都市 栄摂院/丹南藩高木家墓所

丹南藩藩主の墓所が栄摂院にあるという。
栄摂院は金戒光明寺塔頭のひとつで、
金戒光明寺御影堂の北側にあります。


栄摂院」。
栄摂院は木俣守勝により創建された寺院で、
※守勝は楠木正成の末裔で徳川家康に仕え、
 井伊直政配下の家老となりました。
 守勝の墓は金戒光明寺にあるようですが、
 後に知った事で訪問していません。

庭園は紅葉の名所として知られていますが、
通常は非公開となっているようです。

栄摂院の墓地に高木家の墓所があるそうで、
周辺の墓地を探してみますがわからない。
丹南藩藩主の墓はどこがと住職に訪ねると、
来客中だったので待っていると、
茶菓子を出して頂き、
わざわざ墓所まで案内してくれました。

周辺の墓地は栄摂院の墓地ではなく、
栄摂院の管轄する墓地は別の場所で、
これが結構遠い。
場所的には金戒光明寺を挟んで反対側。
御影堂や大方丈清和殿を通り過ぎで、
通称アフロ地蔵のある石段を登り三重塔へ。
そこから北側へ歩いた場所でした。
わざわざそこまで案内頂き恐縮・・・。

文殊塔(三重塔)」。
将軍徳川秀忠の供養の為に建立され、
廃寺となっていた中山宝幢寺より、
本尊の文殊菩薩像を移動させて安置。
蓮池から一直線の石段の先にあります。
国指定重要文化財


3代高木正弘の墓(左)」、
4代高木正盛の墓(右)」。
案内頂いた場所にあった高木家藩主の墓。
上下に枠がある笠塔婆型の墓碑で、
上側は南無阿弥陀佛と刻まれていて、
下段には戒名が刻まれている様ですが、
浸食によってしっかり判別できません。
中央は薄っすら「大姉」と読めるので、
正弘の母(2代正成室)のものと思われます。
3代正弘は二条城守衛を任じられており、
在任中に死去してここに葬られましたが、
元々は正弘が母の墓(中央)を建てて、
傍らに葬ってほしいと遺言したのでしょう。
江戸で死去した正盛の墓は遺髪墓のようで、
これも遺言によるものと思われます。

高木家歴代墓所は南河内郡太子町叡福寺
杉並区栖岸院和歌山高野山等にあり、
藩祖の墓は岡崎市妙源寺にあります。

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