来迎寺には令和元年に訪問していましたが
初代と11代の藩主の墓の写真は撮らず、
山門前の陣屋跡碑を撮影したのみで、
再度訪問する事にしました。
「山門」。
天保14年(1843)再建の山門。
山門彫刻には地車(だんじり)彫刻が成され、
山門としでは珍しい意匠であるという。
ちなみに来迎寺は丹南陣屋と隣同士の為、
陣屋から入れる… 続きを読む
大阪府松原市 来迎寺/丹南藩高木家墓所
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来迎寺には令和元年に訪問していましたが
初代と11代の藩主の墓の写真は撮らず、
山門前の陣屋跡碑を撮影したのみで、
再度訪問する事にしました。
「山門」。
天保14年(1843)再建の山門。
山門彫刻には地車(だんじり)彫刻が成され、
山門としでは珍しい意匠であるという。
ちなみに来迎寺は丹南陣屋と隣同士の為、
陣屋から入れる… 続きを読む
聖徳太子の墓所として知られる叡福寺は、
その創建年代に諸説ありますが、
太子の墓守りの住んだ堂が始まりとされ、
歴代天皇や時の権力者に重んじられました。
空海、良忍、親鸞、日蓮、一遍など、
各宗派の開祖も参拝したという。
天正2年(1574)の兵火で全ての堂塔を焼失。
江戸時代… 続きを読む
丹南藩藩主の墓所が栄摂院にあるという。
栄摂院は金戒光明寺の塔頭のひとつで、
金戒光明寺御影堂の北側にあります。
「栄摂院」。
栄摂院は木俣守勝により創建された寺院で、
※守勝は楠木正成… 続きを読む
徳川十六神将の高木清秀の三男高木正次が、
大坂定番就任の加増によって諸侯に列し、
河内国丹南郡に陣屋を築いたのが丹南藩。
丹南陣屋跡を訪問しようと住所を見ると、
どうやって行くか悩みます。
跡地は近鉄大阪線と南海高野線の間で、
一番近い近鉄河内松原駅… 続きを読む