大阪府松原市 来迎寺/丹南藩高木家墓所

来迎寺には令和元年に訪問していましたが
初代と11代の藩主の墓の写真は撮らず、
山門前の陣屋跡碑を撮影したのみで、
再度訪問する事にしました。


山門」。
天保14年(1843)再建の山門。
山門彫刻には地車(だんじり)彫刻が成され、
山門としでは珍しい意匠であるという。
ちなみに来迎寺は丹南陣屋と隣同士の為、
陣屋から入れる別の山門があったとされ、
その薬医門が堺市の正念寺に移築され、
山門として現存しているという。


本堂」。
承応2年(1653)再建の本堂。
来迎寺は天平3年(731)に創建され、
はじめ毘沙門院と称されていましたが、
天承元年(1131)に融通念仏宗の開祖良忍が、
寺名を阿弥陀寺と改めていますが、
戦火によって一時荒廃。
元亨4年(1324)に再興されて来迎寺となり、
融通念仏宗の中核として隆盛し、
江戸時代には高木正次が隣に陣屋を築き、
高木家の菩提寺となりました。
本堂には歴代藩主の位牌が祀られている他、
初代正次が真田信繁との戦いで得たという、
六文銭の入った手桶と杓が残されています。


智光院殿前上林蔵氷豊譽淨照大居士」。
初代藩主高木正次の墓。
徳川十六神将高木清秀の三男に生まれ、
徳川家の主要な戦いで戦功を挙げ、
大坂定番となった際に1万石の大名となり、
丹南藩を立藩しました。
墓は円墳のような小山の上の五輪塔です。


従五位下行主水正源朝臣
 高木正明致仕昻冰翁」。
11代藩主高木正明の墓。
10代高木正剛の長男として生まれ、
父の隠居により家督を継ぎました。
6代高木正陳が建立した叡福寺上の御堂を、
借財を増やしてまで修理しています。

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 聖徳太子廟の裏手に歴代墓所があります。

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