中野区に永井宗家の墓所があるのですが、
その寺院の境内撮影は禁止されています。
超有名な歴史上の人物の墓もあり、
参拝を希望する人も多いようで、
ネットでは賛否が書き込まれていました。
ですが撮影禁止は変な理由ではなく、
運営する幼稚園の園児の安全を守る為で、
別に意地悪ではないようです。
今回は一応撮影許可は頂きましたが、
敢えて寺名は伏せさせて頂きます。
「龍谷院殿雲山宗開大居士」。
永井家宗家3代永井尚征の墓。
宗家2代永井尚政の長男に生まれ、
父の隠居によって家督を相続します。
淀藩から宮津藩に移封されており、
15年の治世の後に死去しました。
「永井家累代之墓」。
永井宗家の合葬墓。
永井宗家は永井直勝を祖としており、
大坂の陣での戦功で大名となっていますが、
池田恒興を討ち取る大功を挙げながら、
関ケ原以前は5000石であったようです。
これを恒興の次男池田輝政が知り、
家康に直勝の加増を進言したともいう。
2代当主となった永井尚政は、
父とは別に潤井戸藩を立藩しており、
老中に昇進して加増され、
更に父の死去で遺領古河藩6万石を相続。
後に淀藩に加増されて10万石となります。
しかし4代永井尚長が内藤忠勝に刺殺され、
10万石であった永井宗家は改易。
後に3代尚征の六男永井直圓が再興し、
1万石で大和新庄藩を立藩しました。
以後は12代永井直壮まで続き、
文久3年に陣屋を移して櫛羅藩となり、
13代永井直哉の時代に維新を迎えます。
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支流である直清流永井家の歴代墓所。