三重県四日市市 四日市湊

四日市湊は古くから天然の良港として栄え、
天領四日市の貿易港でしたが、
十里の渡しの発着点にもなっていました。

十里の渡しは熱田四日市を結ぶ海路で、
江戸時代初期よりあったようですが、
利用者は余りいなかったようです。
それがだんだんと増えていったとされ、
熱田と桑名間の七里の渡しを陵駕した為。
旅人を奪われた桑名宿は苦情を訴え、
参勤交代の大名や幕臣の公用移動には、
七理の渡しの使用が義務付けられました。
とはいえ一般の旅人は十里の渡しを利用し、
四日市湊は変わらず栄えたようです。


四日市旧港」。
幕末には伊勢最大の港となっていたようで、
多くの船は出入りしていましたが、
安政の大地震で堤防が破壊されてしまい、
徐々に砂が積もって水深が浅くなり、
やがて小舟も出られなくなってしまいます。
これに四日市の廻船問屋稲葉三右衛門は、
三重県の許可を得て築港を開始。
資金不足により一時中断しますが、
内務大臣への直談判等で資金を調達し、
苦労の末に完成させたという。


潮吹き堤防」。
桑名城の石垣の一部を転用したとされ、
連続する穴から水を逃がし、
波の威力を半減させる効果があります。


潮吹き堤防レプリカ」。
潮吹き堤防がミニチュアで再現され、
実際に波の威力を半減させる様子が、
わかるようになっています。


稲葉三右衛門君彰功碑」。
明治30年に建立された碑。
稲葉三右衛門は四日市の廻船問屋で、
維新後は会計局御用係戸長等を務め、
破壊された四日市湊を再建し、
四日市市の近代化を基礎を築きました。
郷土の偉人として称えられており、
市内の小学校で教えられているようです。

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