東京都台東区 瑞輪寺/敦賀藩酒井家墓所

瑞輪寺は台東区谷中にある日蓮宗本山。
総本山久遠寺17世慈雲院日新が、
天正19年(1591)に開山した寺院で、
足立の善立寺、杉並の宗延寺と並び、
日蓮宗江戸三大触頭の一つとなっています。


本堂」。
現在の本堂は明治27年の再建のようで、
平成16年に大修復が行われています。
相撲部屋の御家騒動の舞台となっており、
力士が籠城した事もあるようですが、
近代の話ですので割愛。
興味ある方は押尾川の乱でググって下さい。


酒井家之墓」。
敦賀藩酒井家の累代墓。
被葬者の刻まれた墓誌はありません。

小浜藩2代酒井忠直の次男酒井忠稠が、
父の遺言によって1万石を分与され、
諸侯に列したことに始まる敦賀藩酒井家。
藩主は江戸に常駐する定府大名で、
歴代藩主は幕府の要職を努めており、
藩政が顧みられる事はなかったようで、
財政難が続いていたという。
特に7代酒井忠毗若年寄を3度も務め、
1080石加増のうえ城主格となり、
参勤の義務が発生して更に財政は悪化。
一時は小浜藩に領地を返還し、
廃藩しようとしていましたが、
領民の反対によって中止されています。
忠毗は幕末期に外国事務掛を努め、
ロシアの樺太領有主張問題
H.ヒュースケン暗殺事件、
生麦事件下関戦争の賠償金交渉等、
諸外国に関わる事件を担当しました。
忠毗は慶応3年に隠居しており、
家督を継いだ酒井忠経新政府に恭順。
京都に赴いた際には鞠山騒動が発生し、
家老が藩士5人に殺害されています。
明治2年には鞠山藩と改称しますが、
同年に小浜藩に併合されて廃藩となり、
小浜藩14代酒井忠義より藩知事を譲られ、
小浜藩知事となりました。
※藩知事職を譲っただけで、
 小浜藩酒井家の家督相続ではない。

廃藩後は東京に移住し明治17年に死去。
家督は忠経の長男酒井忠亮が継ぎ、
華族令により子爵を授爵。
貴族院子爵議員に選出されています。

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