東京都文京区 吉祥寺/麻生藩新庄家墓所②

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つづき。


頓悟院殿従五位下前越州太守
 圓山維鏡大居士
」。
10代藩主新庄直候の墓。
8代新庄直祐の次男として生まれ、
兄の9代新庄直隆の養子となります。
直隆の隠居によって家督を相続し、
17年の治世の後に死去しました。


高節院殿従五位下前駿州太守
 徳応道隣大居士
」。
11代藩主新庄直規の墓。
9代直隆の長男として生まれますが、
幼少であった為に叔父直侯が家督を継ぎ、
その養嫡子となっています
直侯の死去に伴い家督を相続し、
財政難を打開する為に倹約令
目安箱の設置、養育米の支給等、
多くの善政を敷きました。
30年の治世の後に隠居。


霊照院殿従五位下前尚舎局
 徳巌儀鳳大居士
」。
12代藩主新庄直計の墓。
11代直規の長男として生まれ、
父の隠居に伴い家督を相続しました。
郷足軽制度を制定し、
家臣不足を補う政策を実施。
大番頭奏者番を歴任しています。
42年の長期治世の後に死去。


紹慶院殿従五位下前駿州太守
 徳榮宗隆大居士
 智鏡院殿恵光明徳大姉
」。
13代藩主新庄直彪とその正室の墓。
12代直計の五男として生まれ、
父の死去に伴い家督を相続。
領内の士民の風紀粛正を行い、
文武を奨励して人材登用も行っており、
学問所も設置しました。
ペリー来航では開国拒否論を提言。
天狗党の乱には藩兵を派遣しており、
その鎮圧に貢献する功を挙げています。


俊苗院殿秀瑞玉英大居士」。
14代藩主新庄直髮の墓。
※髪の字は旧字のへんに
13代直彪の長男として生まれ、
慶応元年に父が死去した為、
生後2ヶ月で藩主となりますが、
慶応3年に死去しています。


賢性院殿徳永儀忠大居士」。
15代藩主新庄直敬の墓。
旗本新庄家の当主でしたが、
宗家当主である直髮の夭逝により、
末期養子として家督を相続します。
鳥羽伏見の戦いの後に新政府に恭順し、
水戸藩諸生党の追討に兵を出しました。
藩校精義館を創設する等していますが、
廃藩置県となって麻生藩は消滅。
その翌年に死去しています。

よくわかりませんがWikipediaによると、
現在は無縁状態であるようで、
倒れた墓石も多く墓所は荒れています。
この為に整理される可能性もあるらしい。
そういう事が今後も起こらずに、
このまま残して欲しいものですね。

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