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吉祥寺にある麻生藩新庄家の墓所。
同寺の大名墓所の中では、
最も規模が大きいようです。
「月海晟珊大居士」。
麻生藩初代藩主新庄直頼の墓。
浅井長政に従属していた直頼は、
丹羽長秀に攻められて軍門に下り、
後に羽柴秀吉の家臣となります。
秀吉の馬廻りを務めていたようで、
3万石を与えられおり、
秀吉の死後の関ケ原の戦いでは、
西軍に属して伊賀上野城を占拠。
城主の筒井定次が戻ると、
和睦を結んで退去しています。
西軍の敗北で戦いが終わると、
戦後処理にて改易となりますが、
許されて3万石で麻生藩を立藩。
慶長17年(1613)に死去しました。
「節巖了忠大居士」。
2代藩主新庄直定の墓。
初代直頼の長男として生まれ、
父と共に行動し西軍として戦い、
後に徳川家康によって許されます。
父の死去に伴い家督を相続し、
このうち3000石を弟新庄直房に分与。
大坂の陣に参戦して戦功を挙げ、
戦後は奏者番に就任していますが、
元和4年(1618)に死去しています。
「新庄直好の墓(墓碑銘は読めず)」。
3代藩主新庄直好の墓。
2代直定の長男として生まれ、
大坂の陣で父と共に従軍し、
大坂城へ突入する等の戦功を挙げます。
父の死去に伴い家督を相続し、
44年の長期間藩主を務めた後、
寛文2年に死去しました。
4/6代藩主新庄直時の墓はここには無く、
茨城県行方市の海了寺とのこと。
「総寧寺殿東岩永刹大居士」。
5代藩主新庄直矩の墓。
3代直好の次男として生まれますが、
晩年の子であった為に、
家督は叔父の直時が相続して、
その養嫡子となりました。
直時の隠居後に家督を相続しますが、
僅か2年後に継嗣なく急死。
無著断絶となった後で、
隠居した直時が1万石で再興しています。
「慈徳院殿前尚舎局春岩道翠大居士」。
7代藩主新庄直詮の墓。
4/6代藩主新庄直時の長男に生まれ、
父の死去に伴い家督を相続。
31年の治世の後に死去しました。
「正享院殿従五位下前駿州太守
雄山直翁大居士(右)」、
「高嶺院殿従五位下前備州太守
天眞隆松大居士(左)」。
8代藩主新庄直祐の墓と、
9代藩主新庄直隆の墓。
8代直祐は7代直詮の五男として生まれ、
父が死去に伴い家督を相続しました。
幕政では大坂勤番を務めますが、
治世では百姓一揆が発生。
27年の治世の後に隠居しています。
9代直隆は8代直祐の長男で、
父の隠居に伴い家督を相続。
彼の代でも百姓一揆が発生しており、
年貢減免の要求を受け入れました。
20年の治世の後に隠居し、
その後37年も隠居生活を続けています。
つづく。
①/②
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多くの大名墓の残る曹洞宗の寺院。