和歌山県和歌山市 法福寺/北畠道龍墓所

法福寺は和歌山市和歌浦にある寺で、
宗派は真宗本願寺派
この寺院の幕末期の住職北畑道龍は、
僧侶ながら民兵集団法福寺隊を組織し、
和歌山藩兵と共に活躍。
維新後は北畠講法学舎を設立する等、
教法家、教育者として活躍しました。


本堂」。
法福寺の詳しい由緒はわかりませんが、
古くで立派な本堂です。


大〇院道龍大〇」。
北畠道龍の墓。
本堂向かって左側の奥にあります。
道龍は法福寺住職北畠大法の長男に生まれ、
幼少時より仏典易学禅学等を学んだ他、柔剛流剣術大島流総術関口流柔術等、
武芸も皆伝を与えられていたという。
寺務を弟に譲って諸国巡歴に出掛けると、
西本願寺学寮に入り学頭となった他、
他宗派の学問も修めると共に、
諸国の志士と交流を深めました。
その後に法福寺に帰って来ると、
山門に日本体育共和軍隊の大看板を掲げ、
僧侶や町人を集めて法福寺隊を組織。
天誅組の変が起こると藩兵と共に、
その鎮圧で活躍をしています。
第二次長州征伐にも従軍しており、
士籍を与えられて藩の軍制改革に参加し、
明治2年には和歌山藩少參事に就任。
廃藩後は政府の出仕要請を固辞し、
京都で独逸学等を学びました。
明治9年に北畠講法学舎を設立。
明治14年には西本願寺の執事となり、
程なく外遊に出発して欧州を巡った後、
インド釋迦の遺跡に参拝しています。
帰国後は坊主改良論を説き、
北畠大学の設立に奔走しますが、
叶う事はなく明治40年に死去。

明治18年の今日新聞(現東京新聞)で、
現今日本十傑を募集した際には、
政治家は伊藤博文、著述家は福沢諭吉
教法家で北畠道龍が1位だったようで、
その名は広く知られていたようですが、
晩年は大阪で静かに暮らしていたという。

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 道龍はケッペンの指導も受けています。
京都府京都市 西本願寺
 浄土真宗本願寺派の本山。