元治元年9月25日。
井上聞多は山口政事堂からの帰路に、
湯田温泉袖解橋付近で刺客に襲われ、
瀕死の重傷を負いました。
一命を取り留めた井上は翌年、
外国人御用掛に任命されていますが、
下関開港に反発する攘夷派に狙われ、
別府へ湯治を兼ねて逃亡しています。
「旅館若彦跡(ソルパセオ銀座入口辺り)」。
旅館若彦(若松屋)のあった辺り。
井上は春山花輔を名乗って別府に到着。
※奈良屋文七とも。
ここにあった旅館若彦に入り、
その離れに宿泊していたようで、
お静という芸妓連れでした。
当時は道路沿いに流川が流れており、
宿の部屋から釣りが楽しめたとのこと。
若彦は後に若松屋と改称しています。
当時の温泉は外湯が基本だった為、
井上は夜な夜な近くの楠温泉に通い、
襲撃の傷を癒しました。
「楠温泉跡」。
楠温泉の跡地で現在は小さな公園。
薬師如来のお堂が建てられています。
井上は温泉で盗難に遭ってしまい、
これに困った井上はお静を下関に戻し、
伊藤俊輔に金を送るよう託けました。
「楠温泉跡碑」。
お堂の裏手にある跡碑。
大きな楠があった為に楠温泉と呼ばれ、
別府を代表する古い温泉でした。
伊藤より50両が届けられますが、
いつまでもフラフラしてると怪しまれる為、
若彦の亭主松尾彦七に仕事の斡旋を頼み、
侠客永井亀吉を紹介され子分となります。
しかし別の子分にそそのかされ、
賭博で全財産を摩ってしまい、
またしても一文無しになりますが、
楠温泉で出会った臼杵藩士に、
鉄輪温泉への荷物運びをさせられ、
その礼金1朱を得て事なきを得ました。
井上はその後に伊藤の迎えで帰国。
別府再訪は46年後だったようです。
周辺を散策するとソー〇ランドが目立つ。
この辺りは〇ープ街となっている模様。
こういうのも名残りなのでしょう。
「竹瓦温泉」。
明治12年創設の市営の共同温泉。
大規模な木造2階建ての建築物で、
登録有形文化財及び近代化産業遺産。
別府温泉の象徴的な建物となっており、
道後温泉の本館のようなもの。
「竹瓦小路アーケード」。
現存する日本最古のアーケード。
竹瓦温泉前の路地にあります。
大正10年に完成したものとのこと。
実際の井上が潜伏した若彦の離れは、
千辛万苦之場として移築現存しています。
これについても訪問予定でしたが、
行くのをすっかり忘れていました。
場所は別府市公会堂の駐車場の一角。
仕方ないので別の機会に訪問します・・。
■関連記事■
・山口県山口市 世外井上馨候遭難之地
井上が襲撃された現場。
・東京都港区 長谷寺/井上馨墓所
井上の墓所。
・山口県山口市 洞春寺/井上馨墓所
井上の分霊墓。