山口で講習があったので、
世外井上馨候遭難之地に寄ってみました。
大きな石碑ですね。
ここで井上聞多は襲われています。
元治元年9月25日午後6時頃。
山口政事堂から家路についた井上聞多は、
途中の御旗善右衛門邸付近で、
2人の人物に遭遇。
2人は井上に駆け寄り両腕を押さえ、
「井上聞多殿には候はずや」
と問いかけます。
井上が「聞多・・」と答えると、
2人は井上をすかさず地面に押し倒し、
前のめりに倒れた井上に、
後ろから別の一人が斬りつけます。
数回斬りつけた後で3人は去り、
井上は瀕死で農家に助けを求めました。
その後に自宅に運びこまれ、
医者の長野昌英と日野宗春が駆けつけます。
しかし傷の深さに処置の施し様がなく、
井上自らも自分の傷が相当の深手で、
助かる見込みはないと悟り、
兄の五郎三郎に介錯を頼みます。
介錯を頼まれた五郎三郎は、
涙をのみ刀に手をかけますが、
それを母親が止める。
「切るなら母もろともに切つておくれ」
母の言動に兄が躊躇していると、
そこへ所郁太郎がやって来ました。
母親は郁太郎に治療を頼み、
郁太郎は畳針と焼酎で手術を開始。
50針を縫う大手術の甲斐もあり、
井上は一命を取り留めています。
襲撃犯は児玉愛二郎、中井栄治郎、
周布藤吾の3人とされ、
このうち中井栄治郎は椋梨藤太の次男。
内訌戦の後に父と共に藩外に逃げますが、
捕らえられて処刑されました。
周布藤吾は晋作の妻雅の姉の嫁ぎ先の叔父。
※周布政之助長男とされる事もありますが、
別人のようです。
彼が何故井上を襲ったのか不明ですが、
後の幕長戦争で戦死しています。
そして児玉愛二郎。実は井上の従弟です。
しかも彼は維新後に井上のコネで出世し、
宮内省大書記官等などを勤めています。
なんと面の皮が厚いんでしょうね。
後にそれを知った井上は絶句したという。
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