大分県別府市 永井亀吉墓所

井上聞多別府での潜伏中、
侠客永井亀吉(灘亀)の子分となっています。
亀吉は豊前国長洲の漁師の息子で、
15歳で無頼の相撲取りを殺してから、
次第に賭博等の悪さを覚え、
更に侠客叉々村の喜三郎を喧嘩で殺害。
双方の殺人は正当防衛だったようですが、
2人も人を殺した為に地元には住めず、
別府に流れてきて土方の親分となりました。
別府の浜は当時と呼ばれた事から、
亀吉は灘亀の親分と称されたという。


法名 釋退来」。
侠客永井亀吉(灘亀)の墓。
井上は宿泊先の若彦の亭主彦七より、
亀吉を紹介されたようで、
井上を大変気に入った亀吉は、
親子の盃を与えています。
その後に国許より迎えが来た為、
世話になった彦七と亀吉に素性を明かし、
下関に帰って行きました。
その後も亀吉は侠の道を続けますが、
明治に入ってから落ち目になったようで、
明治30年頃には眼病を患い、
歩くのも困難になっていたという。
酷い事もしていたであろう為、
地元では嫌う者も多かったようで、
天罰が下ったと陰口されたようです。

井上は明治44年に別府に再訪。
当時世話になった人々の調査を依頼し、
亀吉の暗い晩年を知って、
面倒を見ていた同郷の者に金一封を贈り、
立派な墓を建てて供養を行いました。

その後の昭和2年。
嫡嗣井上勝之助が別府を訪問した際、
父の恩人である亀吉の墓に参拝しますが、
墓標が風水害で荒廃していた為、
その墓石を新調しています。
現在のものはこの時改修されたもの。

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