安政の大獄で追われた月照は、
京都を脱出して大坂に潜伏。
更に老中間部詮勝の上洛に先立ち、
西郷隆盛と共に薩摩へ移ります。
しかし薩摩藩は月照保護を拒否し、
月照を[日向国送り]としました。
これは暗に国境で殺害する意で、
彼らは船で日向国に向かいますが、
この状況に絶望した西郷は、
錦江湾の冬の海に月照と入水。
驚いた船員達は彼らの救出し、
近くに着岸して民家に2人を運び、
2人の蘇生を行いました。
「西郷先生蘇生之遺蹟」碑。
西郷蘇生の家に行く手前の踏切先に、
東郷平八郎の揮毫による石碑があります。
月照上人遷化之地の碑もあったようですが、
見落として気が付きませんでした。
「西郷蘇生の家」。
西郷と月照が運び込まれた家。
漁師坂下長右衛門の家だったようで、
2人はここに運び込まれ、
火を焚いて体を温めての蘇生が行われ、
西郷のみが助かったとのこと。
この事件は西郷だけが助かった事や、
そもそも殺害命令が出ていた事、
その後に西郷が匿われた事などから、
心中ではなく月照の殺害だったのではと、
そんな邪推も可能ですが、
西郷のみ蘇生はそれ程不思議はありません。
南国とはいえ冬の海に飛び込んだ2人は、
直ぐに助け出された事もあり、
溺れたというより低体温症だったのでしょう。
2人共に意識は無く引き上げられ、
囲炉裏の火で温めて蘇生させたわけで、
そこは体が大きく武士である西郷と、
僧侶で瘦せていたであろう月照では、
生存率に差があって当然。
引き上げた順番もあるでしょうし、
そもそもの体力が違う訳で、
確立的には西郷が助かる方が高い。
他藩士の平野国臣もそこにいたようですし、
伝えられる話で間違いないと思われます。
月照は薩摩藩に関係ない僧侶で、
西郷は人望もある自藩士な訳で、
その後に匿っても不思議は無い。
兎に角西郷だけでも助かった事は、
不幸中の幸いだったのでしょう。
「坂下長右エ門誕生之地」碑。
漁師坂下長右衛門の誕生地碑。
近くに団子屋[南洲茶屋]がありますが、
そこは彼の子孫が経営してるらしい。
彼はその後も漁業を続け、
何ら表舞台に上がる事はありませんが、
誕生地碑が建てられているのは、
なんだか微笑ましいですね。
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月照は清水寺の本坊成就院の住職。
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