ベッキーの不倫騒動が巷を賑やかせていますが、
まあそういうゴシップネタなんてこのブログには関係ない事。
とはいえ、娘を持つ親と致しましては(まだ2歳ですが・・)、
娘には不倫とかロクデナシとかそういうのに関わって欲しくないもの。
そんな事を考えたら、娘にどういう男と結婚して欲しいかとか考えちゃうわけです。
ゲス乙女とか別に好きでも嫌いでもないし、あまり知らないのですが、
「私以外私じゃないの~」とか流行に疎い僕でも知ってるフレーズを作曲する人ですから、
ある程度の才能のある人なんでしょう。バンド名にセンスがあるとは思えませんが・・。
とはいえ、才能ある男といい男とは別物。
ああいうタイプ(そんなに知らないが・・)は、
好きになったらほかのモノを全部捨てれるタイプ。
熱するととことんですが、冷めるのも早い。まあ芸術家肌なんでしょうね。
全く関係の無い他人であれば、すばらしい芸術を提供するアーティストなんでしょうが、
近くの肉親や友達、嫁さんや恋人達はふりまわされる。
本人は悪気があるのかないのか知りませんが・・・。
それはさておき、幕末の志士なんかも女性に対しては、
けっこうロクデナシが多いですね。
我らが高杉晋作も、親、兄弟、妻、愛人、主君、上司、友人など、
とことん迷惑をかけています。その迷惑のせいで殺された人もいるくらいですから・・。
ただ、晋作はそれらを捨てるような事はしませんでした。
それが今回と違うところかな?
では、他の人はどうでしょう。
捨てちゃった人としては、伊藤博文が良い例ですよね。
木田梅子と知り合った伊藤は、妻である入江すみと離縁しちゃいます。
すみは松下村塾の同門である入江九一や野村靖の妹。
同門の妹を離縁しちゃうというゲスぶりもさることながら、
すみの再婚の仲人もしてしまうという面の厚さ・・・。
伊藤の女好きは広く知られ、明治天皇にそのことを注意されるほど・・。
まあ、コイツの妻には、よほど肝の据わった女でなけれりゃ無理なわけで、
女傑といっても良い梅子でなければ勤まらないでしょうね。
たぶん梅子でなかったら捨てられてたと思う。
大河「八重の桜」で準主役扱いであった山本覚馬も、
会津に残した妻うらと離縁しています。
ただ、うらの場合、京都にいる若い妾の存在を知って、
自ら離縁の意思を示しました。
この場合、覚馬がどうこうよりもうらの意地を褒めたいですね。
昔は恋愛結婚なんて皆無です。
結婚までお互いの顔さえ知らないということも普通でした。
ですが、夫婦となったからには最低でも夫婦としての情というものが生まれ、
夫婦になってからお互いを好きになるという事も多かったでしょう。
結婚する時点で「この人が自分の妻(夫)」という認識を持つわけで、
それだけでも特別な存在となります。一緒に暮らせばなおさら。
つい一昔前まで恋愛結婚なんて少なかったのに、
それでも仲の良いおじさんおばあさんってホント多いですよね。
志士達が京都の遊郭などに通うのなんて、
単身赴任の旦那さんがキャバクラや風俗に行くようなもの。
奥さんは別格だったはずです。
たまにキャバクラ嬢や風俗嬢に入れ込んで離婚しちゃう人もいますが、
そんなのは少数で昔も今も変わらないと思います。
そんな志士達の離縁の理由は、
自らの行動で妻に迷惑がかかるのを防ぐ為というのが多い。
罪に問われ罪人の妻と誹られるのを防ぐ為。
別の女を好きになっちゃった~とかではないわけですね。
そういう人もいたでしょうけど・・。
恋愛も自由で結婚も自らの意志ですることができる現代。
結婚するなら「この娘を一生守っていく!」と思って結婚するはず・・。
まあ結婚してみたら、相手が豹変ってこともありえるでしょうが、
1年もたたずに「別の人を好きになっちゃった~」とか、
結婚は恋愛の延長線上という感覚でしかないんでしょうね。
まあ、最後に一言だけ言わせてもらえば、
「略奪したものは、いずれ略奪される」ってことですね。
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