京都府京都市 知恩院総墓地

幕末期に存在した諸藩の歴代藩主の墓を、
出来るだけ網羅しようと考えておりますが、
なかなかにこれがハードルが高い。
一般公開されたものもあれば、
期間限定の公開がされているものや、
完全に非公開のものもあります。
これらはとりあえず場所も確定しますが、
厄介なのは不確かな情報しかないもの。
色々と調べてはいるのですが、
実際に行って確かめてみないと判らない。
情報はガセもありますし、
古いものもあるのでとにかく確かめる。
一応はこれをモットーとしています。

知恩院総墓地には徳川四天王筆頭酒井忠次や、
徳川家康の次女督姫の墓所がありますが、
京都府京都市 知恩院総墓地/酒井忠次墓所
拙い情報を少しすつ集めていくと、
膳所藩2代藩主本多俊次
3代藩主本多康将、4代藩主本多俊将
西端本多家(寄合)初代当主本多忠相
2代当主本多忠将の墓があるという。
※西端本多家は幕末に西端藩を立藩。
但しこれらの情報が正確かは不明。
そこで実際に確かめてみました。

結論から言うと見つかりませんでした。
但し怪しい墓碑はありましたので、
一応紹介致します。


酒井忠次墓所近くにある墓碑群。
立派な墓石ではありますが、
風化で全く墓碑銘が読めません。
酒井忠次墓所に下手に位置しており、
何らかの関係性が感じられます。
その意味では膳所藩初代俊次は、
忠次の次男という関係にありますから、
もしかするとこれらが膳所藩主の墓?
但し位置的に藩主らの分霊墓とか、
庄内藩家老家墓所の可能性もあり、
断言は出来ないのが正直なところ。
ここには大きな墓碑は5基あります。


督姫墓所の北側にある墓碑群。
ここには3基並んでいたようですが、
2基は倒れてしまっていました。
唯一建っている墓碑銘は、
[心光院殿對州刺史・・・]
[安永七・・]と読めますが、
上記の人物らに該当はしませんので、
それ以外の人物となります。
対馬守(對州刺史)の名乗りで、
安永7年(1778)の没年となれば、
西端本多家5代本多忠栄ではないでしょうか?
※事前の情報にはありませんが・・。
そうであれば倒れている2基も、
西端本多家の当主だと思われます。

これらは推測の域を出ませんが、
調査した結果として記載しました。

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