愛知県碧南市 康順寺/本田忠鵬墓所

康順寺真宗本願寺派の寺院。
親鸞の弟子裕乗による開基で、
寛永年間に当地に移転したようです。


本堂」。
康順寺は元々半崎道場と称し、
現在地北東の半崎村にありましたが、
領主本多家の要請で移転したという。
本堂三河地震で倒壊しており、
現在は鉄筋コンクリート製となっています。


静照院殿前對州釋昇覺大居士」。
西端藩2代本田忠鵬の墓。
大身旗本であった本多忠寛の長男に生まれ、
父が西端藩を立藩した後、
慶応3年に父の隠居で9歳で藩主となり、
翌年に初めて国許西端に帰りました。
新政府に陣屋を兵営として貸しており、
維新後は陣屋の整備や軍制改革を実行。
廃藩置県によって免官された為、
東京に移住しています。
明治17年の華族令子爵を授爵しますが、
経済的には困窮しており、
明治28年に病気を発症して西端へ帰り、
療養生活を送っていましたが、
翌年に40歳で死去しました。
晩年は武士の時代を懐かしんでいたという。

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