境町御門は御所を守る外郭九門のひとつで、
坂町通の北側の突き当りで、
現在の京都御苑南側中央に位置する門。
京都御苑は江戸時代の公家町で、
応仁の乱で荒廃していた京都を、
織田信長や豊臣秀吉が復興整備した際、
公家を御所周辺に住まわせた事に始まります。
後の宝永大火の復興で更に広げられて、
これを石垣で囲って9つの門を設置。
現在の区画の原形となりました。
「境町御門」。
文久3年5月20日に朔平門外の変が発生し、
少将姉小路公知が暗殺されます。
これを受けて九門の警備が強化され、
下記のように各藩がこれを担当しました。
堺町御門:長州藩
下立売御門:仙台藩
蛤御門:水戸藩
中立売御門:鳥取藩
乾御門:薩摩藩
今出川御門:岡山藩
石薬師御門:徳島藩
清和御門:土佐藩
寺町御門:熊本藩
文久3年8月18日。
会津藩、淀藩、薩摩藩の藩兵は、
御所を封鎖して急進派公家を締め出し、
大和行幸延期、三条実美ら15人の禁足、
長州藩の京都退去等が決議されます。
堺町御門内側西の九条邸前には、
会津藩兵と薩摩藩兵が陣取り、
御門内側東の鷹司邸前の長州藩兵と、
睨み合いを続けましたが、
長州藩は妙法院に退去して善後策を検討。
三条実美、三条西季知、四条隆謌、
東久世通禧、壬生基修、錦小路頼徳、
澤宣嘉の七卿と共に京都を去りました。
■関連記事■
・京都府京都市 蛤御門
禁門の変の戦端が切られた場所。
・京都府京都市 今出川御門
御所の外郭九門のひとつ。