一条家は五摂家のひとつ。
九条道家の四男一条実経を祖とし、
一条室町にその邸宅を持った事から、
一条を家名としたとされます。
道家次男二条良実と共に摂関家となり、
後に五摂家のひとつとして定着。
後陽成天皇の皇子を養子に迎え、
九条流で唯一皇別摂家にもなりますが、
血脈は3代で途絶えており、
鷹司家から養子を迎えました。
「一条邸跡」。
一条邸は御所の北西辺りでした。
標柱がある筈なのですが、
探しても見当たりませんでした。
幕末の当主22代一条忠香は、
公武合体を支持して尊攘派と対立。
安政6年に左大臣に就任しており、
これを文久3年の逝去まで務めました。
跡を継いだ23代一条実良は、
文久2年に新設された国事御用掛に、
父と共に就任しており、
慶応3年に右大臣となりましたが、
僅か2ヶ月でこれを辞任。
翌年の慶応4年4月24日に病死しています。
24代は婿養子の一条忠貞で、
実良の三女良子を妻としましたが、
義母である総子と対立し、
総子が離縁を求めて訴訟事件にまで発展。
判決で忠貞は離縁させられました。
一条家は四条隆謌(七卿)の甥一条実輝が、
良子と結婚して家督を相続。
後に明治神宮初代宮司を務めています。
■関連記事■
・京都府京都市 京都御所①
明治維新まで天皇が居住した御所。
・京都府京都市 近衛邸跡
五摂家の筆頭近衛家の邸宅跡。
・京都府京都市 九條邸跡
五摂家のひとつ九条家の邸宅跡。
・京都府京都市 鷹司邸跡
五摂家のひとつ鷹司家の邸宅跡。
・京都府京都市 二条邸跡
五摂家のひとつニ条家の邸宅跡。