京都府京都市 近衛邸跡

近衛家五摂家筆頭の公卿家。
藤原忠通の四男近衛基実を家祖とし、
歴代当主は関白摂政太政大臣を務め、
唯一近衛家のみが元服の際、
天皇に直筆で名前を賜っていたという。


近衛邸跡」。
近衛家の邸宅は御所の北側にあり、
広大な敷地を持っていたようですが、
現在はその庭園が残るのみです。
とはいえ建物も各地に移築されており、
政所御殿は奈良の西大寺に、
数寄屋棟茶室棟は愛知の西尾城に、
大玄関東福寺塔頭勝林寺に移築現存。
それらは庭園の西側にあったとのこと。
幕末期の当主27代近衛忠煕は、
島津斉彬の養女篤姫の養父となっており、
篤姫は近衛家の娘として嫁ぎました。
将軍継嗣問題では一橋派であった為、
安政の大獄で辞官させられますが、
文久2年に復帰して関白内覧に就任。
翌年に辞任した後は目立った活躍は無く、
明治2年に天皇が東京に移った後も、
そのまま京都に居住しており、
再三の要請で東京へ移住したのは、
明治11年になってからでした。
曾孫にあたる30代近衛文麿は、
3度も内閣総理大臣を務めており、
昭和天皇に[近衛上奏文]を上奏し、
大東亜戦争の早期終戦を図り、
また独自に終戦工作を展開しますが、
終戦後は服毒自殺を遂げています。

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