島根県益田市 高津柿本神社

高津柿本神社は益田市高津町にあり、
歌聖として知られる柿本人麿を祀る神社。
正式な名称は柿本神社ですが、
4㎞の離れた戸田町に戸田柿本神社があり、
各地にも柿本神社が多くあることから、
通称として高津柿本神社と呼ばれています。
全国の柿本神社の総本社とされており、
地元では「人麿さん」も呼ばれて親しまれ、
学問農業の神、殖産の神として崇敬され、
また防火安産にもご利益があるとのこと。


大鳥居」。
柿本人麿(人麻呂)は天武天皇持統天皇
文武天皇の代に宮廷歌人として仕え、
大宝年間(701-704)に石見国に派遣され、
石見相聞歌と呼ばれる恋歌群を残し、
神亀元年(724)に鴨島で逝去したという。
その報に聖武天皇は暫く嘆かれたとされ、
勅命により鴨島に人丸社を創建させます。
しかし万寿3年(1026)年の万寿地震で、
大津波が発生し鴨島は陥没。
人丸社は海に飲み込まれましたが、
後に人丸社の尊像は松崎の地に漂着し、
地元民は人丸社を再建しました。
更に後の世で銀山奉行大久保長安により、
社殿が造営をされるに至ります。
現在の柿本神社は津和野藩2代亀井茲政が、
延宝9年(1681)に現在地に移鎮させ、
本殿拝殿楼門を建立したもの。


楼門」。
136段の階段の先にある楼門
正二位柿本神社」の扁額は、
有栖川宮熾仁親王の御書とのこと。
平成17年に大改修されているようで、
その前の大改修は明治24年とのこと。
扁額はその時に書かれたものでしょう。


拝殿」。
大鳥居や楼門は西北西を向いていますが、
拝殿及び本殿は南南西を向いています。
これは津和野藩による造営の為、
津和野を向くようにしたようですが、
地図で見ると実際には津和野を向いてません。
入母屋造妻入の拝殿は平成10年の新築で、
春日造の本殿は正徳2年(1712)の造替。
本殿内陣には須弥壇が構えられ、
等身大の人麿神像が安置されているとのこと。


人麿公像」。
拝殿横にある柿本人麿の銅像。
柿本人麿は謎の多い人物で、
詳しい経歴は史書に記載がなく不明。
万葉集」の詠歌やその題詞左注等が、
彼を知る唯一の資料であるという。
天武天皇9年(680)には出仕していたとされ、
持統天皇の代に才能を開花させたようで、
創作年の判明している人麿の歌は、
持統天皇の代と重なっているようです。
後に官人となって各地に転任して、
最後に石見国で死去したとも、
石見国だけに赴任していたともされ、
そもそも終焉の地とされる鴨島も今はなく、
もちろん墓標も残っていません。
殆ど何も判明していない柿本人麿ですが、
詠んだ歌のみが後世の人々の心を捉え、
歌聖として名を残し続けています。

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