安井家の墓の近くにある飫肥藩伊東家の墓所。
清武は薩摩藩と国境を接する重要拠点で、
飫肥藩では重臣を配置してこれを守り、
多くの藩士が在郷していました。
飫肥から遠く離れた清武では、
藩主の墓への参拝出来なかった為、
末寺の文永寺に僑墓が建立されています。
「伊東家僑墓」。
歴代藩主の墓碑が並ぶ墓所で、
藩士らの参拝の為に建てられたもの。
初代から12代までの藩主の墓碑があり、
周辺には重臣らの墓もあります。
「心関宗安大禪定門尊霊(左)」、
「泰雲玄興大居士(左2)」、
「天岳玄龍大居士(右2)」、
「瑞雲宗鳳大居士(右)」。
飫肥藩初代藩主(18代当主)伊東祐兵の墓、
2代藩主(19代当主)伊東祐慶の墓、
3代藩主(20代当主)伊東祐久の墓、
4代藩主(21代当主)伊東祐由の墓。
「洞林院殿前和州刺史佺叟丹心大居士(左)」、
「慈廣院殿故匠作節山玄義大居士(右)」。
5代藩主(22代当主)伊東祐実の墓、
8代藩主(25代当主)伊東祐隆の墓。
「玄証院殿前匠作霊鑑自覺大居士(右)」、
「天受院殿仁空義真大居士(中央)」、
「広徳院殿大安道樹大居士(左)」。
6代藩主(23代当主)伊東祐永の墓、
7代藩主(24代当主)伊東祐之の墓、
9代藩主(26代当主)伊東祐福の墓。
「崇賢院殿前京兆洽岳仁融大居士」。
10代藩主(27代当主)伊東祐鐘の墓。
「泰梁院殿前匠作通峯玄津大居士」。
11代藩主(28代当主)伊東祐民の墓。
「玄徳院殿前匠作三要宗心大居士」。
12代藩主(29代当主)伊東祐丕の墓。
清武の藩士らは盆や正月や彼岸には、
欠かさず参拝していたようです。
藩士らの忠義心が伺え知れますが、
大挙して飫肥に参拝に来ている間に、
島津家が攻めて来たらひとたまりもない。
このような僑墓が置かれたのは、
防衛面の理由もあったでしょう。
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