道隆寺は肝付町新富にあった臨済宗寺院。
南宋の僧蘭渓道隆が開山したとされ、
領主だった肝付家の菩提寺となりました。
明治初頭に廃仏毀釈で廃寺となりますが、
後に有志や土地所有者が整備し、
石塔類の発掘や復元が行われています。
掘削して造られた参道。
登った先に山門があったとされます。
「開山770年記念事業モニュメント」。
有志らにより開山770年記念事業として、
モニュメントが建立されており、
除幕式には建長寺の管長が呼ばれています。
※建長寺は臨済宗建長寺派の大本山。
境内に無数に置かれた五輪塔群。
廃寺後は殆ど埋もれていたようで、
発掘後に復元して並べられたとのこと。
「肝付氏四代兼員の納骨五輪塔(推考)」。
肝付宗家4代当主肝付兼員の墓。
詳しい経歴については不明ですが、
本墓の墓石だったとされるもの。
「島津氏六代氏久逆修供養塔(右)」
「島津氏七代元久修供養塔(左)」。
島津宗家6代(奥州家初代)島津氏久の供養塔と、
島津宗家7代(奥州家2代)島津元久の供養塔。
逆修供養塔は生前に建てられたもので、
肝付家が島津家に降った後に、
主君の逆修供養塔として建てられたもの。
「島津氏十一第忠昌逆修供養塔」。
島津宗家11代島津忠昌夫妻の供養塔。
こちらも逆修供養塔ですが、
忠昌の時代は肝付家は反目しており、
肝付兼久と戦って敗れています。
忠昌は肝付家の居城高山城を攻めた際に、
柳井谷という場所に陣を置いており、
そこで建てられたものだとされ、
後にこれが道隆寺に移されたとのこと。
肝付家の菩提寺だった筈ですが、
判明してるのは島津家の墓石の方が多い。
とはいえ今後も発見があるかもですし、
五倫塔群の中に当主の墓もあるかもですね。
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