新城は垂水島津家4代島津久信の母が、
化粧料とし所持していた地。
地名から新城殿と呼ばれていたようで、
彼女は孫の島津久章にこれを譲り、
久章の室の化粧料と合わせて4700石で、
久章に新城島津家を興させています。
しかし久章は藩主名代の不首尾で謹慎し、
後に乱闘で斬り殺されました。
御家は一代で一旦断絶しますが、
後に子の島津忠清が再興して続いています。
「新城御仮屋跡」。
新城御仮屋跡は空地となっています。
石垣が残されてはいますが、
説明板が無ければ見落としでいました。
御仮屋は新城城の麓に置かれており、
周辺に麓集落が形成されたようです。
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